『Dressing Up』安川有果監督インタビュー

date : 2015/08/14

一昨年の第14回TAMA NEW WAVEでグランプリを受賞した『Dressing Up』がいよいよ8/15より劇場公開されます。深い観察眼に基づいた人間ドラマとホラーやファンタジーの要素がミックスしたユニークな本作を監督した安川有果さんに本作を振り返って語って頂きました。

聞き手(実行委員:矢部・佐藤) 文責:佐藤

人の気持ちを知ろうとして自分を見失うほどにのめり込むのはすごく人間的で、一つの人間の尊い部分かなと思います。

——— 映画を撮られたきっかけは何ですか?学校で映画を学ばれたんですか?

安川:大阪芸術大学付属の専門学校に通ってました。がっつりと映像の授業があったわけではなくて、美術の学校だったのでデッサンの授業やグラフィック系のソフトの授業もありましたし、ざっくばらんにやってて、最後に卒業制作だけしっかり作った感じです。それがきっかけで映画を撮るようになりました。その作品をたまたま『一万年、後….。』(2007/監督:沖島勲)の関西上映でお越しになった沖島監督に渡したところ気に入ってもらえて、それから懇意にさせて頂きました。そのとき作品自体は満席で見れなかったんですけど、飲みの席にちゃっかり参加してDVDを渡しました。同級生に出演してもらって撮った30分くらいの作品なんですけど、あまり誰にも褒めてもらえなくて(笑)。そんな中、沖島監督に気に入ってもらえたのが嬉しくて励みになって、映画を撮り続けた感じです。その次に「桃まつり」(※1)という企画で『カノジョは大丈夫』(2010)という作品を撮って、CO2(※2)に企画書を書いて送ったら採用されました。それで撮ったのが本作です。

——— 本作の脚本を書いたきっかけは何ですか?

安川:一つは、神戸の事件です。私は関西の出身で、当時小学生のときで中学生だった犯人が小学生を殺害するというのは大きなインパクトがありました。その人自身を主人公にするというより、その人が親になって、その子どもの話にしたらどうだろうというのがありました。もう一つは脚本を書き始めた当時に牛丼屋さんでアルバイトをしていたときに、感情を無にして手だけ動かしていた方がお店が回るなと思って、何もかもがスピード重視になっていて感情というのは無駄になっていくのかと思ったときに、どういう状態が人間的なんだろうという疑問を持ったことです。それらが合わさったのが、今回の脚本でした。あとは人の気持ちを知ろうとして自分を見失うほどにのめり込むのはすごく人間的で、一つの人間の尊い部分かなと思ってそういう人物を描きたいと思いました。

——— 神戸の事件は、ご自身に根深く影響があったんですか?

安川:ずっと考え続けていたわけではないですけど、その事件に影響された小説を読んだりしました。

——— 結構小説は読まれるんですか?

安川:小説は結構偏っていて、好きな小説家の作品ばかり読んでいて。その時期は舞城王太郎さんの作品にハマっていまして、その影響が少しあるかと思います。舞城さんの作品にはコスプレみたいなモチーフがあったりして、人の真似をするとか。その時代の違和感と合致して、エンタメ的な作品になっているのが面白くて。

——— 映画はどんなのがお好きですか?

安川:ハリウッド映画も好きですし、ヨーロッパ系のも好きですし、昔の日本映画も好きですし、これって言えないんですけどね(笑)。

——— 本作にはグロテスクな特殊メイクが出てきましたが、そういう映画はお好きなんですか?

安川:クローネンバーグ監督の『ザ・フライ』(1986)とか好きです。テーマ性がある上にちゃんと娯楽性があるっていう両立している作品にすごい惹かれます。

——— 本作では最初からそういう特殊メイクを出そうとお考えだったんですか?

安川:最初は、影とかで表そうと思っていたんですけど。CO2の方に、「怪物みたいなのをちゃんと見せた方がいい」って言われたんです。怪物があってよかったかどうかは評判が分かれますよね。今回予算もないし不安はあったんですけど、そういう特殊メイクの出てくる映画が好きだったし、プロの方にやってもらえることになったのでやってみようと思いました。ただ、脚本を読み直してみると、しっかり「怪物」って書いてあるんですよね(笑)。お母さんが「人間じゃなくなるかも知れない…」って謎めいたインパクトのあるメッセージを残していて、それを受け取った娘がそのメッセージをうまく自分の中で処理できなくて、ああいった形になって出てくるということでもあるので、はっきり見せた方がいいって自分でも思ったので出しました。

——— 他に興味や関心が惹かれるもの、ご自身の創作の参考にされるようなものはございますか?

安川:哲学系の本がどちらかと言うと小説よりも好きです。永井均さんという哲学者の本とか大澤真幸さんという社会学者の本とか。社会的な事例を扱いつつ哲学的な解釈を交えて書いてたりするのが。そんなに色んな文献読んだわけではなくて、たまたま出会った本をパラパラ読んだくらいですけど。

祷さんは、ボーとするだけでも迫力があって、異空間を感じさせるものがあると思います。

——— 役者さんとの出会いは何ですか?

安川:主演の祷さんは、柴田剛監督の『堀川中立売』(2010)で宇宙なんとか隊(正式名称は、「宇宙警備隊ギャラクシー・フォース」)のリーダーみたいな役をされていたのを見てオーディションに来てもらったらとてもよかったので、出演を依頼しました。その役のインパクトがあって、番長みたいな人を引っ張って行く役ができるなと感じて、ボーとするだけでも迫力があるというか画になるというか、異空間を感じさせるものがあると思います。そういう女の子ってなかなかいないなと。

——— まだお若いですよね?

安川:撮影当時は小六で、いままだ高一ですね。

——— あの存在感はすごいですよね。

安川:そうですね。でも本人はそれに全然気づいていないのが面白くて(笑)。

——— 普段の雰囲気は結構違うんですか?

安川:普段は結構笑う感じのかわいらしい女の子ですし、自分に「ナイフ」みたいなイメージがあるのをすごく嫌がってましたね(笑)。両親の誕生日にはいつもケーキを作って「ありがとう」ってメッセージを書くような女の子です。

——— そうなんですね。

安川:私生活はエンジョイしているような女の子なのでこういう役ばかりやらされるのが、本人的には納得いってないみたいです(笑)。それでこの間短編を撮ったときは、普通の役をやってもらったんですけど、逆に「私、こういうの無理かもしれない…」って(笑)。

——— 役だとできないんですね(笑)。

安川:やりたいって言ってたけど、いざ演じてみると難しかったみたいですね。

——— お父さん役の鈴木卓爾さんはどのように?

安川:鈴木さんはカメラマンの四宮さんと相談していて、お父さん役はなかなか難しい役なのでいい役者が見つからなくて、四宮さんから「鈴木さんはどう?」という提案があって、私が元々鈴木さんの大ファンだったのでぜひと思ってお願いしました。ダメもとでメールで脚本を送ったら読んで頂いて「ぜひやりたいです」とお返事頂けて実現しました。

——— 撮影期間はどれくらいでしたか?

安川:撮影期間は2週間ほどですが、祷さんが小学生だったこともあり、毎日夕方には終わるというスタイルでした。ただ夜のシーンや、山小屋のシーンの日だけはスタッフはほぼ徹夜に近い状態になってしまいました。

——— 全体を通じて特に大変だったシーンはありますか?

安川:育美(祷)とお父さん(鈴木)が部屋で左右に向かい合って言い争う場面が、事前に台詞が準備できずに撮影に臨んだので、大変でした。台詞がこれでいいのかというのもあり、その場で書き直して覚えてもらったので、役者さんにも負担を掛けてしまったし、大変でした。こういうことはあまり今後はないようにしたいですね。

——— そうだったんですね。逆にそのおかげかとても緊迫感が伝わってくるシーンでした。

※以下、作品の内容に深く触れている箇所があるため、作品鑑賞後にお読み頂くことをお勧めします。

根っこにある本当のことも大事だけど、どう振る舞うかも覚悟だから、それも本当の一つなんだと思います。

——— 本作はすごく複雑なことが起きているのですが、明晰に撮られているのがとても興味深かったです。主人公の育美は、お母さんがいなくて、お母さんがどんな人かも知らないから、そこから生まれた自分のアイデンティティが不確かで揺らいでいるように感じます。

安川:理想となる大人像みたいなのがまずは母親であってほしくて、でも母親がそういう人だったと知って混乱しているという。

——— そうですね。お母さんがどんな人だったか「深層(真相)」を探求する一方でお父さんが毎日プレゼントを買って来たりすることなどの「表面」的なことへの疑わしさというのがあると思います。最後お父さんと育美が向かい合うシーンのお父さんの台詞で「本当はどう思っているかとかそういうことはどうでもいいことなんだよ。どういう風に生きて行くかとか自分の決意や意志の方がよっぽど大事なんだよ」というのがありました。現在から未来に向けてどう生きるかという志向が重要ということですよね。本作のタイトル(「dressing up」=「正装する、扮装する」)にも表れているかもしれないのですが、「深層」を探求するよりも、お父さんが育美を諭すように「表面」を積極的に肯定するというアイデアは、以前から考えていらしたことなんですか?

安川:仰る通りありました。「表面」というかどう振る舞うかが大事なんだと。根っこにある本当のことも大事だけど、どう振る舞うかも覚悟だから、それも本当の一つなんじゃないかと。父親のふりというか、父親になりきれてないかもしれないけど、そういう努力をすること自体が愛情なんじゃないかというのも思って、もどかしい人物にしたいなと思いました。私が育美に感情移入して描いていると思われるかもしれませんが、お父さんのことも同じくらい描きたかったんです。愛情は嘘じゃないんだけど、ただ不器用なだけでそうなっているだけなのに、それが疑わしく映っちゃうという噛み合わなさがあって。

——— 廣瀬純(映画批評家/現代思想家)という人が、3.11の原発事故について語ったときに、「原発問題の正義を問うことも重要だけど、それから自由になることも同様に重要である」というようなことを言っていたんですが(※3)、それは本作に通じるところがあると思います。そういう正義を突き詰めることは大事なんですけど、突き詰めるにつれてその人がどんどん不自由になっていっているようなところがあります。

安川:そうですね。解放されたかったのに、どんどんはまっていくような。

——— 本作で言えば、不確かなお母さんという存在すなわち自らの存在を規定する原因を確かめようとして、育美はどんどん深みに嵌っていっているように思います。最終的に育美が行った「お母さんを真似る」という行為は、ある意味「自分が原因になる」みたいなことだと思います。そういうフィクションによって、自らを本当の原因の束縛から解放して自由を獲得するという意味で。

安川:そうですね、確かに。わからなくて自分が原因になりたかったというか、根本に近づきたかったというか。

——— そういう感じがありますよね。

安川:でも結局なれなかったという話ですよね。お母さんにはなりきれなくて。

——— そのあたりから複雑な展開が起きていると思います。自らが原因となって振る舞ったときに同級生を傷つけてしまって、その後に山小屋に行ってお母さんと抱き合ったときに自らも傷を付けられてしまう。自らが母親になって同級生に傷つけてしまった後に、自分も母親から傷つけられてしまう。

安川:そうですね。

——— 最後の切り返しショットは、その傷と傷とが重なって、自分のアイデンティティを確かめようとして結局母親になれなかったときに、同時に「他者」が生まれたということを象徴しているように感じました。

安川:山小屋で育美がお母さんに傷つけられるシーンは、育美だけでなくお父さんも首に傷つけられています。お父さんの苦しみもわかっていなかったけど、お母さんにそうされることでお父さんの苦しみも理解できたというか。そういう風にしたかったんです。記号的かもしれないですけど。それと同級生の傷も繋がるというか。

本人はそういう人間じゃないのに、自分が犯罪者の子だと知ったときに、自分もそうなってしまうところがあるんじゃないかと思います。

——— 突然暴力を振るうということに、何か惹かれるものはありますか?例えば作品のテイストは異なりますが『カノジョは大丈夫』でも突発的な暴力が描かれていますが。

安川:コントロールできない部分に興味があります。これは裏設定ですがお母さんは人を傷をつけてしまう衝動をコントロールできなくて、自殺したという設定にしたんです。お父さんは、娘にもそういう血筋があるんじゃないかと恐れて、ちょっとした娘の暴力的な部分を見つけては抑えようとして病気だと決めつけて、そういうのが出ないようにと頑張るんですけど、決めつけることによって本人がそうなってしまうところがあるんじゃないかと思います。本人はそういう人間じゃないのに、自分が犯罪者の子だと知ったときに、自分もそうなってしまうところがあるんじゃないかと。知ってしまったことでそこから逃れられなくなって自らそっちの方向に向かって行っちゃうようなことがあるかもしれない。そういう場合に、その人がアイデンティティの揺れている人物だった場合には、一つ目標ができてある意味充実した人生になるかもしれないと思いました。だから「わたしって誰だろう?」って揺らいでいる育美は、お母さんを真似すると決めてからはある意味充実していたというか目標ができて突進していたと思うんです。でも同級生を傷つけてしまったときに母親になれないというか、さっきの言葉で言えば「原因」みたいなものにはなれないという風に思った。それでまたアイデンティティが定まらない状態に戻ってしまった。それで父親にこう思うということを自分の言葉で伝えたけども分かり合えない部分もあって、それでも自分なりに決着を付けようと思ったら、現実の中だけでは解決できなかったという風に見ることもできると思います。

「楽しませる」ということに的を絞って妥協しないで撮ってみたい。

——— 次回作のご予定はございますか?

安川:短編を近々撮る予定です。いつも一緒にやってるカメラマンに面白いねと言われたんで頑張って撮ろうと。いままでの作品のテーマと通じるところもありますが、もう少し青春物な感じで見やすい作品になると思います。

——— 作品ごとにテイストを変えたいというお気持ちは強いですか?『Dressing Up』の後に『激写!カジレナ熱愛中!』(2014)という全く毛色の違うコメディ作品を撮られていますが。

安川:常に意図してすごく変えたいと思っているわけではないんですけど、『Dressing UP』のあとは特別に意図して変えたいと思ったかもしれません(笑)。これは、才能がないということなのかも知れませんが、自分がどういうものだったら撮れるのかとか、向いているスタイルというのもまだあまり分かっていないから、いろいろやってみたい気持ちが強いんです。

——— その他これから撮ってみたいテーマはありますか?

安川:そのときに感じている違和感を発端にして映画を作るということをしてきましたが、それとは別に、自分のこだわりや思いを捨ててエンタメを撮ってみたいという気持ちがあります。「楽しませる」ということに的を絞って妥協しないで撮ってみたい。いままで踏み切れてない部分がちょっとあったので。これだっていうルックもハッキリ決めて狙いを定めた映画を撮ってみたいです。

  • 女性の映画監督有志による製作・上映企画団体。
  • シネアスト・オーガニゼーション大阪の略称。映画製作の助成金や製作協力を行っている。最近の作品だと、9月公開の『螺旋銀河』(2014/監督:草野なつか)も本組織の支援を受けている。
  • 2012年3月3日(土) に行われた、『 蜂起とともに愛がはじまる 』(河出書房新社)刊行記念連続講座「Ainsi s'insurgent les amoureux(こうして恋人たちは蜂起する)」にて、同氏が市田良彦氏の著作を例に話した内容に基づいている。正確な記録ではなく筆者の記録(記憶)に基づくため表現に差異があるかもしれないが、大意は変わらないのでご了承頂きたい。本講座を元にした文章は、廣瀬氏の著作「暴力階級とは何か—情勢下の政治哲学2011-2015」(2015、航思社)に所収されている(同書P.62-67《倒錯と自由 -イーストウッド『J・エドガー』/ドゥルーズ「意味の論理学」》、及びP.68-73《現代思想、ハードコア-「怒り」から「自由」へ市田良彦/マトロン/ネグリ』》を参照)。本議論を本作に当てはめて解釈したのはやや強引だったかもしれないが、上記文章の内容と比較して改めて考えると興味深い。

『Dressing Up』

8/15(土)より渋谷シアター・イメージフォーラムにてレイトショー公開

桜井育美は父親とふたり暮らしの中学一年生。授業で「将来の夢」について考えるという課題が出ても、自分の未来を想像することができない。「母親のような立派な人になりたい」というクラスメイトの発言を聞いた育美は、幼いころに死んだ母親がどういう人だったのか興味を持ちはじめる。やがて育美は、父親がずっと隠していた母親の過去を知ってしまう。けっして開けてはならない箱を開けてしまった少女。この世界で生き抜くために、愛を求めてさまよう彼女の見たものとは――

  • 2012/HD/68分
  • 監督・脚本=安川有果
  • 撮影=四宮秀俊
  • 録音・音楽=松野泉
    • 祷キララ、鈴木卓爾、佐藤歌恋、渡辺朋弥、平原夕馨、デカルコ・マリィ

安川有果監督プロフィール

1986年、奈良県生まれ。 大阪美術専門学校で映像制作を学び、'10年短編映画『カノジョは大丈夫』(出演:前野朋哉)がオムニバス企画“桃まつりpresentsうそ”の一本として渋谷・ユーロスペースにてレイトショー上映される。この作品を参考作品に、'11年大阪映像文化振興事業CO2(シネアスト・オーガニゼーション・大阪)に出した企画が通り、『DressingUp』(出演:祷キララ/鈴木卓爾)を監督。主演の祷キララがCO2新人俳優賞を受賞した後、TAMA NEW WAVEではグランプリと最優秀女優賞を受賞。『激写!カジレナ熱愛中!』(出演:中村愛美)が2014年3月にポレポレ東中野にて劇場公開。