第36回映画祭TAMA CINEMA FORUM
運命的な出会いによって惹かれ合い、互いを特別な存在と認め合った二人。忍び寄る死に抗いながらも、言葉を尽くした丁寧な対話で濃密な時間を積み重ねていくその姿は、「人が人と向き合うとはどういうことか」を観客に深く問いかけた。
年齢も境遇も違う3人の“さとこ”が、自分の物語を書くことで凝り固まった日々から自分を解き放っていく姿を、可笑しく愛おしい人間模様として描いた。誰の人生も語るに足る一冊なのだと高らかに肯定し、観客一人ひとりの毎日をそっと祝福した。
戦争が一人の人間を加害者へと変えてしまう恐怖と、罪を背負って生き続けることの重さを真正面から描いた。少女の純粋な問いやカウンセリングを通して自らの加害と向き合い、その記憶を語り続けるネルソン氏の姿に、再生へと向かう人間の力を描き出した。
言語も立場も違う隣人同士が、譲れないものを抱えたままぶつかり合う姿を緩やかなユーモアで描いた。分かりやすい和解へ着地させることなく、他者と分かり合うことの難しさと可能性を、痛快な笑いのなかに示してみせた。
『黒牢城』において、荒木村重の威厳、知性、滑稽さ、もの哀しさを併せ持つ人間像を創出した。官兵衛との対話を重ねるなかで、内面が次第に揺らいでいく過程を背中、間合い、声の変化で表現し、威厳の奥にある脆さを浮かび上がらせた。
現代劇から時代劇まで多彩な作品において、相手との間や呼吸を丁寧に積み重ねて場面に奥行きと余韻をもたらした。『メモリィズ』においては、飄々(ひょうひょう)とした佇まいのなかに人間味のある温かさを滲ませて、家族の記憶と記録の物語を優しく紡ぎ出した。
『ストリート・キングダム』では、完成したレコードを手に朝の街を駆ける姿に、自ら表現を形にする喜びと躍動感を溢れさせた。『シャドウワーク』では、暴力で傷ついた人物の痛みと危うさを抑制の利いた演技で滲ませ、鮮やかな「陽」と深い「陰」の両極に確かな実在感を与えた。
『白鳥とコウモリ』において、澄んだ瞳に怒りや戸惑い、真実を知りたいという強い思いを宿らせた。台詞に頼らず、眼差しと全身で揺れ動く感情を伝え、抑制の利いた表現のなかに芯の強さを備えたヒロインを創り出し、確かな演技力を示した。
人生の岐路に立つ息子と難病を抱える母親、二人とつながる人々の、一人ひとりの心の距離を静かに丁寧に描き出した。やがて迎えたその日、想いが重なる瞬間に溢れ出す涙が、観る者を深く温かな感動で包み込んだ。
思春期の少女が、自分の世界を広げながら自身のルーツに深く関わる「朝鮮舞踊」を通じてアイデンティティに向き合う様子をみずみずしく描いた。家族や友達と過ごす日常を丁寧に描写し、観客に他者へ想いをめぐらす想像力を喚起させた。
『急に具合が悪くなる』において、舞台と客席をはじめ、人を隔てるあらゆるものを軽やかに越えていく青年・智樹を演じ、二人の主人公を結びつける要となった。3時間を超える物語の重心を静かに支えたその存在感は、今後のさらなる飛躍を確信させた。
『90メートル』において、難病の母への想いに揺れ動く心優しい少年を、情感を細やかに込めて、真っすぐに演じ切った。母への尊敬と自分の胸の内を真摯に語る、一点の曇りもない眼差しに、背筋が伸びる思いがした。
『ルックバック』において、創作の力を信じひたむきに描き続ける藤野を天真爛漫に体現した。のびやかに自由に生み出される表現は作品の魅力を加速させる。
凛とした佇まいのなかに、心の深い奥行きを感じさせる演技で、多彩な役柄を自然な空気感で表現した。『90メートル』においては、何気ない日常のやり取りの隅々に優しさを滲ませ、飾らない言葉でそっと主人公の背中を押す姿に、観る者も心をほどかれた。