おすぎの特選映画シアター

11月30日 「おすぎの特選映画シアター」 (やまばとホール)

ユージュアル・サスペクツ
THE USUAL SUSPECTS
1995年/アメリカ/ブルー・パロット、バッド・ハット・ハリー/アスミック配給/1時間45分
 
監督=プライアン・シンガー
脚本=クリストフアー・マクフアリー
撮影=ニュートン・トーマス・サイゲル
音楽・編集=ジョン・オットマン
美術=ハワード・カミングス
出演=ガブリエル・バーン、チヤズ・パルミンテリ、ケヴイン・スペイシー
 
[ストーリー]
 カリフォルニアの埠頭で、アルゼンチン・ギャングの船が大爆破する。大量のコカイン取引が行なわれるはずだったが、ブツを奪おうとした一味とギャングの争いから27名が死亡、9100万ドルが消えた。生存者は2名。そのうちの1名の乗組員は瀕死の状態のまま「カイザー・ソゼ」とうわ言でつぶやく。もう1人は襲撃した一味でただ1人無傷だったヴァーバル(K・スペイシー)。左半身が不自由でおしゃべりなヴァーバルは、この襲撃は伝説の大物ギャング、カイザー・ソゼによって企てられたもので、集められたメンバーはその黒幕の頼も知らず、報酬と引き換えに命を脅かされていたと自白する。特別捜査官(C・パルミンテリ)は、黒幕のカイザー・ソゼを一味の一人、キートン(G・バーン)と断定するが……。
 
[コメント]
 今年最高のサスペンス。ただ『レザボア・ドッグス』みたいな映画を想像するとちょっと肩透かしをくらうかもしれない。出所してきた男がメンバーを集めて強奪の計画を立てる。何度か成功するがそこにカイザー・ソゼなる黒幕が現われて……。果たしてカイザー・ソゼとは何者なのか? 監督のプライアン・シンガーはこのカイザー・ソゼなる人物の謎解きには終始せず、講の枠組みを変え、すべての流れをいったん壊して作り変えることによって新しいサスペンスを仕上げている。また、かなりクセのあるキャスティングも魅力的で、なかでもケヴイン・スペイシー(この作品でアカデミー助演男優賞を受賞)の存在が光る。 (舟)

白い嵐
WHITE SQUELL
1996年/アメリカ/スコット・フリー、ロッキー・ラング・プロ/日本ヘラルド配給/2時間9分
 
監督=リドリー・スコット
脚本=トッド・ロビンソン
撮影=ヒユー・ジョンソン
音楽=ジェフ・ローナ
美術=ピー夕ー・J・ハンプトン、レスリー・トムキンス
出演=ジェフ・ブリッジス、キヤロライン・グッダール、ジョン・サヴェージ
 
[ストーリー]
 独自の教育方針で知られる特別な海洋学枚オーシャン・アカデミーに入学した17歳のチャック(S・ウルフ)は、南米を半周する船旅に出発しようとしていた(帆船アルバトロス号に乗り込むのは個性豊かな12人の少年たち。期待と不安に満ちた彼らの命を預かるのは、スキッバーの異名をもつ船長のクリストファー・シェルダン(J・ブリッジス)。船長は少年たち一人一人の名前を呼び、訓示を与える。「海を甘く見ることなく、海を制する者になれ。団結は力だ。」船長の厳しい訓練に一度は不信感を抱いたものの、度重なる危機に的確に対処する姿にチャックは憧れていく。こうして少年たちの運命の航海は始まった……。
 
[コメント]
 監督リドリー・スコットが9作目に挑んだのは、35年前、19人を襲った伝説の<ホワイトスコール>によるアルバトロス号事件だ。映像派監督としてその独自のビジュアル表現に徹してきた彼が、前作の『1492コロンブス』など、このところ実話をもとにした作品で人物表現に重点をおき、「映像」から「出来事の伝達」へと興味を移してきているようだ。『テルマ&ルイーズ』や『コロンブス』での特定の人物表現から、今回、複数の少年たちを魅力的に個性豊かに描きだすことに成功している。最大の見せ場である嵐のシーンは、セットとは思えない大量の水と風で出演者たちは真の叫び声を上げていたらしい。実際には90秒という驚くべきスピードで起こった悲劇も「いかに身動きのとれない状況に陥っていたかを表現したい」という監督のこだわりで、その伝説の出来事は時間をかけリアルにフィルムに焼き付けられた。船長の責任が闘われ有罪判決に持ち込まれそうになったとき、一つの鐘の音が少年たちの心を結び付け、船長を救うラストシーンは感動的だ。まさに<団結は力なり>だ。 (裕美)

ユリシーズの瞳
TO VLEMMA TOU ODYSSEA
1995年/フランス、イタリア、ギリシャ合作/フランス映画社配給/2時間57分
 
監督・原案・脚本=テオ・アンゲロプロス
脚色協力=トニーノ・グエッラ、ペトロス・マルカリス
撮影=ヨルゴス・アルバニティス、アンドレアス・シナノス
音楽=エレニ・カラインドルー
美術=ヨルゴス・パッツアス
出演=ハーヴェイ・カイテル、マヤ・モルゲンステルン
 
[ストーリー]
 アメリカから、35年ぶりに北ギリシャに帰郷する映画監督A(H・カイテル)。自作の上映に出席するためだったが、ギリシャで最初の映画を撮ったマナキス兄弟の失われたフィルムを探し、彼を待っているはずの「女」と再会する過程で、旅の日的が明らかにされていく。Aのあてどない旅はギリシャのテサロニキ港を起点に、アルバニア〜マケドニア〜ブルガリア〜ルーマニア〜セルビアを運命的な女たちに導かれ、A自身の少年時代の回想や歴史的事件を幻想的、重層的に織り混ぜながら進んで行く。そして遂に探し求めていたフィルムのありかを知り、戦火のさなかのサラエボへ向かう。
 
[コメント]
 テオ・アンゲロプロス監督は、「国家」という暴力装置とそれに翻弄される「個人」を「歴史」という事実と「長回し」というカメラ技法によって、独自の映像世界を措いてきた。『ユリシーズの瞳』はまさに監督の長編10作目にあたっての集大成であり、「今世紀とは?」「映画百年とは?」を根源的に問うものである。映画誕生百年に際し、自国で最初に撮られたらしい幻のフィルムに想いを巡らし、百年という時空を遡行する旅に出る。そこにはバルカンという今世紀を象徴する地域ゆえ、避けては通れない国家、民族の対立の嵐が吹き荒れている。それは非常に辛く、悲しい旅である。しかし、しかしである。そんな悲惨な状況下においても人々は「希望」や「夢」を失わずにはいられないものとして、アンゲロプロス監督はさりげなく描く。あの深く美しい霧や静かに流れる大河を背景にして……。映画101年目の今日、映像に写し出される社会、そしてそれを見つめる人々の眼差しは映画誕生以来、いささかも変わっていないことを、この映画は強く再認識させてくれる。 (セ)