真実をみつめて

11月22日 「真実をみつめて」 (やまばとホール)

●Time Table●
10:30−10:45
10:45−12:35
13:20−14:00

14:15−16:40
16:55−20:05
20:05−20:40
オープニング
明日への遺言
トーク
 小泉堯史監督、富司純子氏、司会:北川れい子氏(映画評論家)
クライマーズ・ハイ
実録・連合赤軍 -- あさま山荘への道程
ティーチ・イン
 若松孝二監督、ARATA氏、並木愛枝氏

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明日への遺言
2008年/『明日への遺言』製作委員会/アスミック・エース エンタテインメント配給/1時間50分
 
監督・脚本=小泉堯史
プロデュース=原正人
原作=大岡昇平
脚本=ロジャー・パルバース
撮影=上田正治、北澤弘之
音楽=加古隆
衣装=黒澤和子
出演=藤田まこと、富司純子、ロバート・レッサー、フレッド・マックイーン、リチャード・ニール、田中好子、蒼井優
 
明日への遺言
© 2007『明日への遺言』製作委員会
 
[ストーリー]
 太平洋戦争末期、無差別爆撃を実行した米軍機の搭乗員処刑の罪に問われ、B級戦犯として戦争裁判にかけられた岡田資中将(藤田)。傍聴席から妻・温子(富司)や家族が見守るなか、彼はひとり信念を貫くべく“法戦”に挑んだ……。
 
[コメント]
 上司の命によって米軍兵士を処刑した下司官への死刑判決を通して戦争の理不尽さを伝えた名作に『私は貝になりたい』がある。この映画を観てまず感じたのは、同じB・C級戦犯の裁判を描くこの2作品のあまりも大きな違いであった。冒頭の映画のように、あらかじめ結論が決められたおざなりな裁判がほとんどだった当時、国際法と無差別攻撃を争点とした裁判が存在したという事実には、正直驚きが隠せない。また、一般の国民はもちろん、政治家や軍人さえもが戦争責任を回避してきたこの国の戦後を考えると、岡田中将の自分だけで責任を全うしようとする姿には大きな感銘を受ける。
 前述の『私は貝になりたい』の主人公と岡田中将は最後、同様に死刑判決を受けるが、この二つの死にはまったく異なる意味合いを感じる。「宣告される死」と「選択する死」だ。二人の最期は、威圧的な処刑台へと続く長い階段と澄み渡る空をそれぞれが見上げるシーンに集約されているように思う。この映画は、岡田中将の死にざまで人間の尊厳をとくと私たちに見せつけている。 (早)

クライマーズ・ハイ
2008年/「クライマーズ・ハイ」フィルム・パートナーズ/東映×ギャガ・コミュニケーションズ Powered by ヒューマックスシネマ配給/2時間25分
 
監督=原田眞人
原作=横山秀夫
脚本=加藤正人、成島出
撮影=小林元
音楽=村松崇継
出演=堤真一、堺雅人、尾野真千子、高嶋政宏、山崎努ほか
 
クライマーズ・ハイ
© 『クライマーズ・ハイ』フィルム・パートナーズ
 
[ストーリー]
 1985年8月12日、羽田発大阪行き日航123便がレーダーから消え、墜落した。墜落地点は長野県境に近い群馬県上野村の御巣鷹山の尾根。乗員524名のジャンボ機事故は世界最大級。生存者は? 現場の様子は? そして事故原因は?……。全権デスクに任命された悠木(堤)を中心に、新聞報道のあるべき姿について激論を戦わせ続けた地元紙・北関東新聞社の1週間を描く。
 
[コメント]
 堕ちたのだ。この山奥の斜面に。
 私が現場を訪れた、事故から20年後の2005年夏。耳をすますとせせらぎが聞こえる静かな森のなか、斜面に数々の金属の墓標が現れる。座席番号が記され献花されているそれらは、失われたいのちを視覚的に認識させるだけでなく、墜落当時の現場の様子を自ずと訪れる者に想像させる。20年以上にわたって遺族が慰霊に通い続けてもなお、墜落地点である御巣鷹山の尾根までは小川沿いに急な斜面を進まねばならない。
 事故当夜に「下りるために登るんさ」と言葉を残して別れたまま駅で倒れ命を失った山登りの仲間、大久保・連赤という70年代の大事件と向き合いいまは幹部として君臨する癖のある次長や部長、必死の思いで現場にたどり着きながら原稿が締切に間に合わず悔しさを訴える後輩……。事態が進展していくなか、全権デスク悠木はひとつひとつ判断を迫られていく。いくつもの壁を打破し乗り越えていくというわけにはいかないのも現実であるが、必死に本質を問うて論を展開していく姿は観ていてすがすがしさを覚える。 (渉)

実録・連合赤軍 - あさま山荘への道程
2007年/若松プロダクション、スコーレ製作・配給/3時間10分
 
監督・脚本・企画・製作=若松孝二
プロデューサー=尾崎宗子、大友麻子
脚本=掛川正幸、大友麻子
撮影=辻智彦、戸田義久
音楽=ジム・オルーク
出演=坂井真紀、伴杏里、ARATA、地曵豪、大西信満、並木愛枝
 
実録・連合赤軍 -- あさま山荘への道程
© 2005『実録・連合赤軍』制作委員会
 
[ストーリー]
 1972年、連合赤軍の若者たちが「あさま山荘」に立てこもり、警察との銃撃戦を展開した。革命を夢見た若者たちの運動は、この悲惨な結末によって完全に失速するーー。世界がうねりを上げていた60年代。日本の学生運動は、社会変革を目指し勢力を増していく。活動家の逮捕が相次ぐなか、結成された連合赤軍は、山中で軍事訓練を始める。
 
[コメント]
 観客を捉えて離さない、気迫に満ちた190分。役者は単独でロケに参加し合宿して、衣装、メイクは自前。監督と役者が本気でぶつかり生まれた演技を越えた力。それはまさしく「実録」という名にふさわしい真実の力だ。
 当時を知らない筆者にもまざまざと感じさせる時代の空気。本来社会に向けて働くべき連合赤軍の彼らの意志は、次第に「総括」という内側への批判に向けられていってしまう。そこで観客が体験する空気が、事件以後の「閉塞感」に満ちた時代の空気と重なるのは大変興味深い。また例えば「労働者」の社会に対する訴えが強まる昨今を鑑みると、本作の強い現在性が明らかになる。本作が示すのは、変革運動なんかやっても無駄だというシニシズムではもちろんない。ラスト間際、連合赤軍のメンバーの一人が同志に向かって繰り返し叫ぶ言葉は、現在の私たちに向けられたメッセージである。この言葉を聞いて筆者の目からは熱い涙がこぼれた。必見。 (友)

●ゲストの紹介
小泉 堯史 監督(Koizumi Takashi)

 1944年生まれ、茨城県水戸市出身。70年早稲田大学卒業後、黒澤明、木下恵介、市川崑、小林正樹の4人の巨匠が結成した「四騎の会」所属となり、以後黒澤明に師事する。2000年山本周五郎原作の『雨あがる』で劇場公開作品監督デビュー。日本アカデミー賞では最優秀作品賞をはじめ8部門の最優秀賞を受賞。続く『阿弥陀堂だより』(02年)『博士の愛した数式』(06年)も絶賛を浴び、今も最も良質な日本映画を贈り出す監督として注目を浴びている。
 
富司 純子 氏(Fuji Sumiko)

 1945年生まれ、和歌山県出身。60年代後半マキノ雅弘監督の命名で藤純子として『野州遊侠伝男の盃』でデビュー、『緋牡丹博徒』シリーズなどで一世を風靡した。72年に結婚して一線から退いたが、89年芸名を富司純子として降旗康男監督の『あ・うん』で復帰。98年『おもちゃ』でアジア太平洋国際映画祭助演女優賞ほか多数受賞、2006年『フラガール』でも助演女優賞を総なめにした。最近の作品では、ほかに『犬神家の一族』(06年)、『愛の流刑地』(07年)、『ラストゲーム 最後の早慶戦』(08年)などがある。07年紫綬褒章を受章。
 
司会:北川 れい子 氏(Kitagawa Reiko)

 東京中野生まれ。映画評論家。1970年代初め、国家公務員の傍ら映画批評を書き始め、各誌に精力的に執筆。85年に公務員を退職し、現在、キネマ旬報、シナリオ、週刊新潮、その他に寄稿。「週間漫画ゴラク」誌の日本映画批評は開始から四半世紀を越え連載1,500回を越す。ミステリ評も手がける。猫10匹とも同居。
 
若松 孝二 監督(Wakamatsu Koji)

 1936年生まれ、宮城県出身。63年、26歳で『甘い罠』を監督し、ピンク映画と呼ばれるジャンルを確立する。65年、若松プロ設立。71年、イスラエル占領下にあるパレスティナのゲリラ闘争を描く『赤軍-PFLP世界戦争宣言』を発表、爆弾テロを描いた72年のATG作品『天使の恍惚』とともに映画が時代をつくると評される。主な作品に『水のないプール』(82年)、『キスより簡単』(89年)、『われに撃つ用意あり』(90年)、『寝盗られ宗介』(92年)、『エンドレス・ワルツ』(95年)、『17歳の風景』(2005年)がある。

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