●映画のチカラを伝えに沖縄へ―「大丈夫であるように―Cocco 終らない旅―」上映会のその後
6月23日、きょうは沖縄の慰霊の日。
「鉄の暴風」といわれるほどの沖縄戦の激しい戦闘は、多数の命を奪い、沖縄の土地を強烈に破壊したそうです。
この日を前にした6月20日(土)-21日(日)の日程で、4月18日(土)にベルブホールにて開催した「大丈夫であるように―Cocco 終らない旅―」上映会で募った来場者のみなさんのメッセージ<想い事>を携え、かちんこくん、ブラボー先輩とともに沖縄に行ってきました。
↑メッセージの記されたリボン、かちんこくん(左)とブラボー先輩(右)
【6/20(土)】辺野古へ
1日目。今回の旅の目的地である沖縄県名護市辺野古の浜辺に行ってきました。那覇バスターミナルから路線バス77番(名護東線)に乗ること3時間弱。早朝から飛行機にも3時間ほど乗っていたため、東京からの移動に6時間以上を要しました。辺野古バス停に着いたのは午後1時頃でした。
ようやく辺野古の浜に到着し、美しい海を守りたいということで座り込みをされている「命を守る会」のみなさんに今回の訪問の趣旨や経緯をご説明したところ、温かく迎えていただき、お話を伺うことができました。
上映会の会場で予想以上に多くの方が真剣にメッセージを記してくれたことを例に、映画のもつチカラについて思うことをお話ししました。それにたいして、同じように「『大丈夫であるように』でジュゴンや辺野古の美しい海を知ったひとたちからのメッセージがたくさん集まってきている」と教えてくれました。とくに印象的だったのは「Coccoさんは『なにもできていない』ってよく言っていたけど、歌や映画を通じて、たくさんのひとに沖縄の美しい海のことを発信してくれた。だから『そんなことないよ』って言ってあげたい」という言葉でした。映画を通して知らなかったことに気づけ、ひととひとのつながりが生まれ、大きく輪が拡がっていくこと―。その魅力について、具体的な事例で考えることができました。
「大丈夫であるように」に出てくる、Coccoがリボンを辺野古の鉄条網にくくりつけて祈っている姿。そのときの撮影の様子や、基地移設反対をめぐっての経緯や鉄条網のすぐ向こう側で度々行なわれる米軍の訓練の様子、現在「命を守る会」のみなさんが行っていることなどについても詳しくお聞かせてくださいました。辺野古の浜辺は、いまなお基地建設の是非をめぐっての問題の最前線なのです。
那覇空港に到着した朝、空は厚い雲に覆われていましたが、午後は太陽がまぶしく、海面も青く輝いていました。私のように単独で訪れる者もいれば、団体でバスを貸し切ってくる人たちもいるそうです。この日も、多数の来訪者がおり、みなさんと一緒に<想い事>の記されたリボンを鉄条網にくくりつけることができました。そして私は鉄条網に結ばれている全国からの幅広い想い、願いや希望にゆっくりと目を通しました。やはり、まず知ることが大事だと、あらためて思いました。
【6/21(日)】平和祈念公園ほか南部戦跡へ
2日目は沖縄本島の南部に出かけました。沖縄県内には多くの“祈りの場所”がありますが、とくに糸満市を中心とした沖縄戦跡国定公園には平和の礎やひめゆりの塔などの慰霊碑・慰霊塔が集中しています。それはこの地域が沖縄戦の最激戦地であったためです。平和祈念公園付近は当時多くの人たちが最後に流れ着いた場所だそうです。周辺の海岸は急な崖が多く、いまは青々と美しい海が、当時は血で赤く染まったとの証言があります。6月23日の慰霊の日を直後に控え、沖縄全戦没者追悼式の準備でテントが張られた平和記念公園内には、家族連れの沖縄県内の方々も多くいらっしゃいました。慰霊の日には、沖縄県内外から多数の来訪があるそうです。
↑富盛の石彫大獅子(沖縄県内最大最古のシーサー。弾丸の跡多数)
沖縄本島南部の沖縄戦の激戦地は、さとうきび畑など緑ゆたかでのどかな風景が広がり、海岸・岸壁から見渡せる海・空も青くきれいに輝いていました。ですが、その美しさは、決して当時を忘れることなく、逆に沖縄戦の残酷さを伝えているように感じられました。そんな複雑な想いを抱きながら、案内してくださった方の話を聞いていました。
今回の旅は1泊2日。滞在時間は32時間ほどでしたが、出会いに恵まれた充実した時間でした。滞在中にお世話になったみなさん、上映会にご参加くださったみなさん、実行委員のみなさんをはじめ、励ましや理解を示してくださった方々すべてに、御礼申し上げます。ありがとうございました。
(山口渉/TAMA映画フォーラム実行委員)
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