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2007年01月08日

●「それでもボクはやってない」感想

「Shall We ダンス?」以来11年ぶり。
周防正行監督久々の作品。

「シコふんじゃった。」などからも、今回もコメディー路線かと思っていたが、実際は違った。
最初こそコメディーチックでクスりと笑わされる所も多かったが(特に本田博太郎は要チェックです!)、映画は至ってシンプルに無駄なものはそぎ落として、且つ真正面から日本の司法制度、裁判制度への疑問を強烈に投げかけている。

痴漢冤罪事件。最近では度々聞かれるようになった言葉だ。
女性にとって痴漢は対象となりやすく、かつ友人や家族が痴漢冤罪で捕まるかもしれない。
身近なテーマを持ってきたところに周防監督の狙いがある。


フリーターを脱しようと就職活動中の金子徹平(加瀬亮)は、満員電車を降りた時に突然女子中学生から服の袖を掴まれ、「あなた、痴漢したでしょう」と言われる。
取調べでは徹底して容疑を否認するが、刑事は認めず徹底して責めたて、「認めちゃえば、お金さえ払えばすぐに出られるから」と言われてしまう。
容疑否認のため留置所に交流される徹平。
警察も検察も、弁護士さえも「認めちゃえ」と言うが決して容疑は認めず、結局裁判に突入する。
そんな彼を支えてくれたのが母親や友人たち、そして同じく痴漢冤罪の経験を持つ男性や弁護士たち。
しかし、裁判の99.9%は有罪になる、という事実を知らされてしまう。

なぜ0.1%しか無罪はないのか?
そこに日本の司法制度のおかしなところがある。
それこそがこの映画のテーマである。
この映画は痴漢の冤罪がテーマではなく、もっと大きなテーマを持っていて、それを表現するのにたまたま痴漢冤罪というのが適していた、というところだ。

最初から取調べの調書もでっち上げ、犯人と決め付ける刑事。
起訴したからには必ず勝たなければ国家権力の負けを認めたことになるため、必死に戦う検察。
警察と検察という国家権力が起訴したからには、それを否定することはできない裁判所。
全てにおいて歪んでいる。
それらが丁寧に丁寧に描かれてゆく。

無罪判決をする裁判官は出世できない。
飛ばされてしまう。
所詮裁判官の社会も官僚社会にすぎない。

そんな社会の歪みの中で、自分の身の潔白のために戦ってゆく徹平と仲間たち。
果たして彼は無罪を勝ち取ることができるのか・・・?


周防監督が渾身の力をこめて描いた力作社会派映画。
今までのエンターテイメント重視の姿勢から、メッセージ性重視になっており、また対話や文書を読上げるシーンが多いため今までの周防監督ファンに受入れられるのだろうか?
また、上映時間が140分強と、とても長い。
自分はのめり込んで見ていたため長いとは微塵も感じなかったが、入り込めない人にはつらいだろう。

あえてエンターテイメントを捨てて日本の聖域、裁判所へメスを入れる問題作だ。


役者たちもその熱意に十分応える素晴らしい演技を披露している。
主演の加瀬亮は、現代の迷える若者を見事に演じている。
裁判官役の小日向文世がまた、今までのイメージを覆すような憎々しい裁判官を演じていて、まさにこの人たち以外ありえないだろうというベストキャスティングとなっている。
キャスティングには相当苦労されたということだが、完成された作品を見ると、まるで最初からこの人たちのために役が作られたと思ってしまうほどハマっており、監督ひとりで作り上げるのではない、スタッフ・キャストが一丸となって作り上げたマジックだと感じた。

この映画は分かりやすいエンターテイメントではないので好き嫌いは別れそうだ。
だが、ここに込められたメッセージは無視できない。

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