●「愛の流刑地」感想
原作は日経新聞に連載され、その際どい描写や不倫と純愛を描いてベストセラーとなって「愛ルケ現象」とまで言われた小説の映画化。
主演は豊川悦司と寺島しのぶ。
不倫の末愛するが故に「殺して…」とつぶやき、そして男は女の首を絞めて殺した。
「殺したい程人を愛したことがありますか?!」と裁判で訴える。
そんな予告編くらいの予備知識でこの映画を見てきた。
まず映画は冒頭、「あなた、私をめちゃくちゃにして…。」というつぶやきと吐息の官能的なシーンから映画は始まる。
これがあまりにも大胆な濡れ場。
そして、上になりながらエクスタシーの絶頂に「私を殺して…」とつぶやき、菊治(トヨエツ)の手を自分の首もとへともってゆく冬香(寺島しのぶ)。
菊治の手にグッと力が入り、その逆に冬香はグッタリと力なく倒れてゆく。
「おい、どうした」と話しかけ、頬を叩いて目を覚まさせようとするが、既に息絶えていた。目の前の現実を理解できず、部屋をウロウロしたり、死んだ冬香を抱きかかえたり。マンションの屋上から飛び降りようとしたり・・・。
冷めきった関係にあった元妻との間の娘から電話があり、何気なく普段通り会話を交わしてようやく我に返り警察へ電話をして自首する菊治。
殺人を犯した割には静かな劇に、サイレンをならしたパトカーがやってきてようやく犯した罪の大きさに気づかされ、ファンタジーから現実へと観客を引き戻す。
検察の尋問や弁護士との対話などを間に挟みつつ、ふたりがどの様にして出会い、どの様にしてこの結末に至ったかが描かれてゆく。
確かな演技力の役者陣が、難しい脚本を見事に演じ切っている。
小説を書けなくなった作家の菊治に情熱を取り戻してもらうために友人が引き合わせたのが、冬香だった。
これがふたりの出会いだった。
たちまち菊治は恋に落ち、東京から京都へ、たった2時間のデートのために足しげく通うようになった。
そのうちふたりは関係を結び、最初は恥じらいを見せていたはずの冬香は、愛と快楽とを限りなく求めるようになっていった。
夫も3人の幼い子供もある身でありながら、不倫に堕ちてゆく。
そうしているうちに、女性と男性としての決定的な感性の違いが冬香を悩ませることになってゆく・・・。
なぜ冬香は「死にたい。殺して。」と言うようになったのか?
なぜ菊治は愛する冬香の首を絞めて殺してしまったのか?
それらの謎が裁判という場を通して次第に明らかになってゆく。
その鍵は「虚無と情熱」という新しく書き上げられた本の中にある。
男性は「虚無=冷静」であり、女性は「情熱」という感性の違いだ。
裁判という場を愛を証明する場、ファンタジーとして描いた作品だ。
およそ現実離れしていて、正直なところ理解しがたいものがある。
でも、それで良いのだと思う。
この映画はあくまでファンタジーなのだから。
豊川悦司演じる菊治は、愛に対してはあくまで無邪気で童心。
男はそれくらいでなければ不倫なんて無責任なことはできない。
それに対して寺島しのぶ演じる冬香は、女として最後のケジメをつけることを選んだ。
これが「大人の女性に捧げる“究極の純愛”ストーリー」なのかと言われると男の自分にはちょっと理解できない。
愛するが故に、男を独り占めするために自分を殺してほしいというのが自分には良く理解できなかった。
愛とは生きてこそ、と思うのだが。
女性がこの映画を見てどう感じるのか。ぜひとも感想を聞いてみたい。