チョイ役ゲンスブール

11月28日 「チョイ役ゲンスブール」 (ベルブホール)

●Time Table●
12:00−13:35
14:00−15:32
15:50−16:30
16:50−18:16
マドモアゼル a GO GO
ミスター・フリーダム
トーク ゲスト:永瀧達治氏、梶野彰一氏
アンナ

マドモアゼル a GO GO
1972年/フランス/ケーブル・ホーグ配給/1時間35分
 
監督=リシャール・バルドゥッチ
脚本=カトリーヌ・カローヌ
撮影=リシャール・スズキ
音楽=セルジュ・ゲンスブール
出演=ベルナデット・ラフォン、ジェーン・バーキン、セルジュ・ゲンスブール
 
[ストーリー]
 『女の望遠鏡』という旧題が示すように、ホモカップルの銀行強盗が盗み出したお金を、4人組の女の子が望遠鏡でその行動を逐一覗き見しながら横取りを画策するという、ドタバタと繰り広げられるスラップスティックなコメディ映画。
 
[コメント]
 愛娘シャルロットが生まれた当時に作られたというジェーン・バーキンとセルジュ・ゲンスブールによる6度目のコンビ作品。バーキンはグループの中ではおつむの弱いおバカな娘の役を演じていて、この役でコメディエンヌとしての才能を開花されたとも言われている。対するゲンスブールもおマヌケなホモ泥棒役を愚鈍にかわいく演じてくれている。
 ゲンスブールの映画というと同性愛や近親相姦、ロリータといった禁断的なテーマを取り扱ってるせいか、どうしてもネガティブな印象がつきまとう。だから彼の作り出す音楽は好きだけど、映画はちょっと……というのが正直なところであった。ところがこの映画を観て、目からウロコが落ちかねないほどの大きなショックを受けた。なにしろ、映画のスクリーンの中では、今までに見たこともない、なんともお茶目なゲンスブールがそこにいたからだ。何をやるにしても、楽しんでやれるのが何より一番だと思わせてくれる楽天的な演技っぷりは、気楽な端役だからこそのものなのか? ゲンスブールが手がけたピコピコした軽快な映画音楽もまた、片手間にサクサクッと作っちゃいましたといった具合で、ゆるゆるなこの映画にジャストフィットしていて面白いです。

ミスター・フリーダム
1968年/フランス/大映株式会社配給/1時間32分
 
監督・脚本=ウィリアム・クライン
撮影=ピエール・ロム
音楽=セルジュ・ゲンスブール
出演=ジョン・アビー、デルフィーヌ・セイリグ、フィリップ・ノワレ、ドナルド・プレザンス、セルジュ・ゲンスブール
 
[ストーリー]
 60年代後半。激化する東西冷戦下でのフランスを舞台に、ミスター・フリーダム(J・アビー)が押し寄せる共産主義の脅威に対抗するため、アメリカの秘密組織から派遣されるというスパイ映画。
 
[コメント]
 これほど政治色の強いバカ映画は初めてだった。敵対するソ連のエージェントに扮するF・ノワレの間の抜けた真っ赤な着ぐるみ姿といい、不気味でカラフルな巨大風船のスーパー・フレンチマンやレッド・チャイナマンといい、アメリカを徹底的に揶揄った象徴として体現したようなミスター・フリーダムなどの、馬鹿馬鹿しくも可笑しいやりとりの数々には抱腹絶倒させられた。これは『オースティン・パワーズ(デラックス)』なんかを観て無邪気に喜んでる場合じゃないぞと。何しろゴダールの『中国女』と同様、パリの5月革命を予見したというそのプロパガンダぶりは、あまりの過激さゆえに政府の検閲が入ってしまったほどなのだから。そのくせ話の中身としては、ミスター・フリーダムはマッチョな体躯をしているのにもかかわらず、催眠メガネなどというどらえモンのポケットの中から出てきたような、これまた都合のいいアイテムで敵を眠りにいざない倒してしまうという、二の句がつげないほどのしょうもなさなのである。だけど、その根底に流れるベトナム戦争などを背景にしたアメリカの正義という欺瞞性に対しての痛烈なメッセージには、コソボ紛争時のNATO空爆といった、現在にも相通じる普遍性を持ち合わせたコンテンポラリーな面白さがあった。

アンナ
1966年/フランス/N.S.W.配給/1時間26分
 
監督=ピエール・コラルニック
撮影=ウィリー・クラント
音楽=ミシェル・コロンビエ
美術=イザベル・ラピエール
出演=アンナ・カリーナ、ジャン=クロード・ブリアリ、セルジュ・ゲンスブール、マリアンヌ・フェイスフル
 
[ストーリー]
 広告代理店の社長セルジュ(J=C・ブリアリ)は、写真のベタ焼きに偶然写っていた女の子アンナ(A・カリーナ)に一目惚れをする。彼はあらゆる手を使って彼女を探そうとするが見つけられず、彼を心配する友達(S・ゲンスブール)に諌められたりする。実は彼女は彼の会社に勤める社員で、普段は眼鏡をかけているため気づかないのだ。彼女は彼が愛しているのは幻想の自分だとして正体を明かそうとしない。果たしてセルジュはアンナを見出すことができるのだろうか?
 
[コメント]
 もともとはフランス国営放送初のカラー番組のためにつくられたミュージカルコメディで、67年にオン・エアされて以来、初めて再放送されたのは23年後の90年ということもあり、その存在は知る人ぞ知るというものであった。そんな作品を本国仏国をさしおいて35ミリで劇場公開されるということは、ゲンスブールファンにとってまことに僥倖なことでした。
 50本以上も手がけたというゲンスブールの映画音楽のうち、多くの人が最高傑作とたたえる『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』と対を成して並び称されるのが、本作『アンナ』。ベタな恋愛ものだとは思うけど、ミュージカル仕立てで楽しく、アンナもオシャレでかわいい。特に期待に胸を脹らませパリに上京してきたのとは対照的に、どこかアンニュイな表情を浮かべながらパリを離れていくアンナの淋しげな横顔が印象的で不思議な余情を残した。それにしても幻想ばかりを追い求めて本質を見極められなかった(気付くのが遅すぎた)男のマヌケさには(陳腐なだけに)結構笑えないものがあった。