戦後日本映画の黄金時代を牽引した旗手たち PART2

11月25日 「戦後日本映画の黄金時代を牽引した旗手たち PART2」 (やまばとホール)

●Time Table●
10:30−10:40
10:40−12:33
13:00−14:56
15:15−15:55
16:15−18:55
オープニング
雪之丞変化
日本の悲劇
講演「木下恵介の世界」 山田太一氏(脚本家)
喜びも悲しみも幾年月

雪之丞変化
1963年/大映(京都)/1時間53分
 
監督=市川崑
原作=三上於菟吉
脚本=和田夏十
撮影=小林節雄
音楽=芥川也寸志、八木正生
美術=西岡善信
出演=長谷川一夫、山本富士子、若尾文子、市川雷蔵、勝新太郎
 
[ストーリー]
 上方からやって来た人気女形之中村雪之丞(長谷川)は、長崎で死に追いやられた両親の仇である土部三斎(鴈治郎)とその仲間を討つべく密かに機会を狙っていた。たまさか、雪之丞の舞台を観た三斎の娘浪路(若尾)は、側室という立場も忘れ雪之丞への恋しさから病に伏せてしまう。これを好機とばかりに浪路に近づく雪之丞だが、その純粋さに胸を打たれる。三斎の仲間を次々に罠に掛け、破滅へと追い込んでゆく雪之丞。だが、仲間の1人に浪路が誘拐されてしまった……。
 
[コメント]
 もう待てない!! 市川崑の最高傑作のなかのこの1本をもう一度観たい!! と息急く思いで爆発しそうだ。闇のなかの闇、漆黒の闇、そのなかに浮き出る長谷川一夫の雪之丞の際立つ美しさ。構図の斬新、ライティングの技、色彩の絶妙……贅を尽くした映像表現へのこだわりに陶然となる。大きなシネスコ画面を真横に裂きながらスルスルと延びる真っ白い捕り繩のなんという簡潔さ、なんという躍動感、なんという艶めかしさ。美しい女形の復讐譚に側室の恋がからむという古典的な大衆文学を、つねに新しいモダンアートのように織り上げた才能とセンスはまさしく市川崑ならでは。
 『雪之丞変化』は、なんと『満員電車』(57)『炎上』(58)『鍵』『野火』(59)『ぼんち』『おとうと』(60)『黒い十人の女』(61)『破戒』『私は二歳』(62)『太平洋ひとりぼっち』(63)『東京オリンピック』(65)——とつづく驚くべき市川崑の黄金時代の絶頂期に位置する。「どんな素材でも映画になる」という市川監督の言葉どおり、これらの多彩な題材がすべてとびきり面白く、素晴らしい映像で観るものを夢中にさせた事実に驚愕してしまう。なかでも特異な輝きを放つ『雪之丞変化』は絶対見逃してはならない。 (輝)

日本の悲劇
1953年/松竹(大船)/1時間56分
 
監督・脚本=木下恵介
撮影=楠田浩之
音楽=木下忠司
美術=中村公彦
出演=望月優子、桂木洋子、田浦正己、佐田啓二、高橋貞二
 
[ストーリー]
 終戦後8年、離れて暮らす子どもたち、歌子(桂木)、精一(田浦)の学費仕送りのため温泉街で働く母・春子(望月)。「おふくろは僕たちとは無関係だ別世界で生きているんだ」と母の生き方に批判的な子どもたち。母と娘そして息子とそれぞれの現在から、心の傷を受けたつらい過去への回想シーンを重ねながら構成されていく。東京で医師を目指している精一は独断で養子に。「子どもの頃から教わったのは誰も信用できないこと」と言い残し駆け落ちした歌子。湯河原駅に着いた春子は階段を降りかけたが……。棄てられた絶望感に死を決意。再びホームへ踵を返して上り、東京行きの電車をめがけて走り出す。
 
[コメント]
 昭和20年代、敗戦後の困窮と混乱にあえぎ苦しんだ時代がフラッシュバックの手法が多用されて進行する。戦後の痛手を象徴・凝縮された生活者である母子家庭が主題におかれるが後に「日本の母」を演ずる女優の名で呼ばれた望月優子が盲目的な愛情をそそぐ役柄で圧倒する。離れ離れの親子に影を落す「男の世話を受ける」男の相手をする母親の生活、そして叔父夫婦、従兄に取り囲まれた中で性的被害を受けた桂木洋子演ずる姉、虐待の中で逃れる為の猛勉強、学歴上昇を志向する田浦正巳の弟、絶望的な状況のなか、それぞれの心の傷がドラマを生み展開していくことになる。有史以来という「神武景気」からスタートした経済成長期に熱海と並ぶ歓楽地として代表的な湯河原を舞台に信じて疑わなかった子どもとの絆がきれた時、母は自ら命を断つのである。叙情性を排し、もう一つの資質を示した木下監督の代表作といわれるが、家族として寄り添う庶民が受けた傷を自分の眼で確かめるという監督のもう一つのモチーフが色濃くリアルに描かれている。佐田啓二扮する流しのギター弾きや、高橋貞二の板前との心の交流が“湯の街エレジー”と共に哀切をもって迫ってくる。これは木下監督が寄せた心情なのであろうか。 (きよか)

喜びも悲しみも幾年月
1957年/松竹(大船)/2時間40分
 
監督・原作・脚本=木下恵介
撮影=楠田浩之
音楽=木下忠司
美術=伊藤熹朔、梅田千代夫
出演=高峰秀子、佐田啓二、中村賀津雄、有沢正子、桂木洋子
 
[ストーリー]
 昭和7年、観音崎灯台勤務で新婚生活を迎える夫婦がいた。夫(佐田)は楽しい未来を思い浮かべながら、妻(高峰)は不安をいだきながらも、どんな苦労ものり越えてみようと心に決めていた。昭和8年長女を出産、10年には長男に恵まれた。
 日本には、750もの灯台があるという。豪雪の北海道あり、離れ小島ありの灯台での生活、沖を行く船の安全に責任を感じ、それぞれの灯台での数少ない人間関係の模様を折り混ぜながら夫婦一体となって頑張る夫婦の愛情。「誰がこの灯台守の苦労をわかってくれるのだろうか。きっと沖を行く船でさえもわかりはしないだろう」と妻が言う。夫は「俺の苦労はお前が、お前の苦労は俺がわかっていればいいさ」と言う。
 戦争中は灯台の灯さえ消さなければならない異常事態なども経験しながらひたすら灯台を守りたちを育てる。しかし長男の生死を分ける時でさえ、灯台を離れることが出来ない夫は長男の死に初めて何かが間違っているのではないかと思う。
 昭和30年頃まで、この夫婦の半生の愛、そして、心の葛藤を淡々と描いて観る人の感動を呼んだ。「おいら、岬の・・・・・・」ではじまる主題歌は後々まで歌われヒットした。
 
[コメント]
 戦後の混乱もすっかり落ち着きをとり戻した頃、この映画は作られた。衣食住も満たされ、列島改造に向い発展しようとしている時、まだ、戦争の後遺症を引きずっている未亡人も沢山いた。そんな人の言葉だが、この夫婦愛にはある嫉妬さえ覚えたと言っていたのを思い出した。今、定年を迎えた夫が振り向けば妻はいないという夫婦もあまりめずらしくない話に聞こえたりする。世代も変わり人間の心の中もドライ(?)に変わってしまったのでしょうか。 (紀)