おすぎの特選映画シアター

11月21日 「おすぎの特選映画シアター」 (やまばとホール)

●Time Table●
10:20−10:30
10:30−13:21
13:50−15:10
15:30−17:23
17:40−19:54
オープニング
シン・レッド・ライン
おすぎのシネマレクチュア
サイモン・バーチ
永遠と一日

シン・レッド・ライン
THE THIN RED LINE
1998年/アメリカ/ガイスラー-ロバルデュー・プロ製作/松竹富士配給/2時間51分
 
監督・脚本=テレンス・マリック
原作=ジェームズ・ジョーンズ
撮影=ジョン・トール
音楽=ハンス・ジマー
美術=ジャック・フィスク
編集=ビリー・ウェバー、レスリー・ジョーンズ
出演=ショーン・ペン、ジム・カヴィーセル、エリアス・コーティアス、ニック・ノルティ、ジョン・キューザック
 
[ストーリー]
 1942年、ガタルカナル島沖、C中隊を乗せた舟艇から次々と兵士が上陸していく。最前線でのC中隊の兵士の戦死が相次ぐなか、進撃を躊躇する中隊長のスタロス大尉(E・コーティアス)は、自分の名誉のためにこの島の占領を急ごうとするトール中佐(N・ノルティ)と対立する。翌朝、トール中佐はスタロス大尉の代わりにガブ大尉(J・キューザック)中心に攻撃部隊を編成し、激戦の上、日本軍の陣地を攻め落とす。
 スタロス大尉は転属させられ、ガブ大尉を中心にさらに進撃を続けようとするが……。
 
[コメント]
 熱帯特有のジャングルのなかにこぼれる日差しや丘を吹きぬける風の色まで手に取るようにわかる鮮やかな映像。我々はその美しさに心奪われるとともに、テレンス・マリック監督の精神が画面の隅々まで行き届いていることに驚かされる。そう、これは単に熱帯における自然の変化の美しさと、戦争の過酷さを対比して映し出しているだけではない。その背景にある「なぜ、人間は戦争に加わってしまうのか」とか「名誉や達成感といった人間の抑止することの出来ない性」、「人間の命の重みと家族の絆」というテーマを、美し過ぎるまでに美しい映像のなかから観客に問いかけているのだ。
 この映画では<戦争>という人間を極限状態に追い込んだシチュエーションにおいて初めて浮き彫りになる人間の本性を描いているが、それを一概に善悪と決めつけることは出来ないことを思い知らされる。「人間はいつの時代になってもこのようなことを繰り返していくのだろう、それは人間の本質なのだから」と諭されているようだ。
 普段の生活を省みると、<戦争>ほどでないにせよある種追い込まれた状況下において、自分の本性が明らかになる場面に出くわすのだが、それを人間の本質的な部分だからとは言い訳できないなと思う今日この頃である。 (淳)

サイモン・バーチ
SIMON BIRCH
1998年/アメリカ/ハリウッド・ピクチャーズ=キャラヴァン・ピクチャーズ製作/ブエナビスタ配給/1時間53分
 
監督・脚本=マーク・スティーブンソン
原作=ジョン・アーヴィング
撮影=アーロン・E・シュナイダー
音楽=マーク・シャイマン
美術=デビッド・チャプマン
編集=デビッド・フィンファー
出演=イアン・マイケル・スミス、ジョセフ・マッゼロ、オリヴァー・プラット、ディヴィッド・ストラーサン
 
[ストーリー]
 サイモン・バーチ(I・M・スミス)はメイン州グレイブス・タウン始まって以来の小さな赤ん坊だった。一晩も持たないだろうと考えられていた彼は、周囲の予想に反して一晩どころか生き続け、人々に奇跡を思い出させる。彼自身、自分には何か特別な使命があるのだと信じて奇跡を待つ。12歳の夏、彼の身長は96cm。親友のジョー(G・マゼッロ)と草野球をしたり、湖で女の子をからかったり。そうして日々を過ごしながらも、彼はひたすら問い続ける。神様はなぜ僕にこの小さな体をお与えになったのか? 神様には大きなプランがある。僕のためにきっと……。しかしそれはいつ? どうやって?
 ある日、サイモンは生まれて始めてヒットを打つ。そのボールがサイモンのための「大きなプラン」の始まりだった。
 
[コメント]
 『サイモン・バーチ』は、楽しさと悲しさに溢れたボーイズ・ライフ賛歌であり、優しくもシニカルな家族映画である。ある意味で非常にスタンダードな映画ではあるが、そのなかに特筆すべき点をいくつも見出すことが出来る。キャスティングの素晴らしさがその筆頭だ。サイモン・バーチを演じたのは、これが映画初出演となるイアン・マイケル・スミス。その存在感と魅力は映画全体に驚くべき効果を与えている。96cmの小さな体と、無邪気かつ聡明な表情を持つイアンは、その自然体の見事な演技でサイモンというキャラクター、それ以上に映画自体に活き活きとした命を吹き込んでいるといえよう。そして、画一つ一つの美しさを支えた緻密な色彩設計も素晴らしい。ほとんどがロケ撮影なのにも関わらず、その統一された色彩によって非常に流麗な映像に仕上がっているのである。夏のシーンは薄い黄色やミント・グリーンといった色調で陽気さや自由を表現し、冬のシーンでは夏とは逆の深い緑や茶色などを使って、悲しみや寛ぎといった内面を描写しているのだ。サイモンの奇跡を伝えるために、そして悲しくも楽しい人間模様を描くために、あらゆる要素が、映画全体を鮮やかに彩っているのである。 (史香)

永遠と一日
MIN EONIOTITA KA MIA MERA
1998年/ギリシャ、フランス、イタリア/テオ・アンゲロプロス、ギリシャ中央映画局、ギリシャ・テレビ、パラディス・フィルム、インテルメディア、ラ・セット・シネマ製作/フランス映画社配給/2時間14分
 
監督・脚本=テオ・アンゲロプロス
脚本=トニーノ・グエッラ、ペトロス・マルカリス
撮影=ヨルゴス・アルヴァニティス、アンドレアス・シナノス
音楽=エレニ・カラインドルー
美術=ヨルゴス・パッツァス
編集=ヤニス・ツィツォプロス
出演=ブルーノ・ガンツ、イザベル・ルノー、アキレアス・スケヴィス
 
[ストーリー]
 北ギリシャの港町テサロニキ。詩人アレクサンドレ(B・ガンツ)は、ここで人生最後の朝を迎えていた。明日、入院すれば二度と出られないことを確信しながら、身辺整理を始めるアレクサンドレ。家政婦に暇を出し、犬を預かってもらうために娘カテリーナを訪ねる途中、偶然アルバニア難民の少年(A・スケヴィス)を匿うことになる。少年を国境まで送り届けようとするが、少年は彼のもとを離れようとしない。すでに他界した妻との浜辺での思い出や、ギリシャの前世紀の詩人への思いが幻想のように錯綜するなか、アレクサンドレと少年の一夜限りの旅が始まっていく。
 
[コメント]
 第6回フォーラムで上映した『ユリシーズの瞳』に続く、テオ・アンゲロプロス監督の『永遠と一日』は、その映像の美しさと哲学的な内容により、カンヌ映画祭の栄えあるパルムドールに輝いた作品である。友人の死をモチーフに、監督自身の「あと1日しか生きられないとしたら、その日なにをするか」という疑問への問いかけから作られた本作は、さすが多くの哲学者を輩出したギリシャの作品と感心させられるものとなっている。
 人生の終わりを目前にした老人と子供、亡き妻との過去と孤独な現在、自分の仕事に対して「何も残せなかった」と自戒する本人と国民的詩人ソロス。これら相対する要素が錯綜しながら進んでいくストーリーは、難解ではあるものの不思議な心地よさに浸らせてもくれる。また、一見内面的な内容を扱っていながら、アルバニア難民という現代社会のひずみにも、しっかり目を向けた作品である。ちなみに少年役のアキレアス・スケヴィスは、ほんもののアルバニア難民とのこと。本作をまだ観ていない人は、こういった背景も踏まえて観ることをお勧めする。 (中)