日本映画をどうするのか'98

11月29日 「日本映画をどうするのか'98」 (パルテノン多摩小ホール)

●Time Table●
11:00−13:02
13:30−15:30
15:50−17:10
17:30−19:20
不夜城
がんばっていきまっしょい
シンポジウム
犬、走る/DOG RACE

不夜城
1998年/東映、アスミック・エース配給/2時間2分
 
監督・脚本=リー・チーガイ
原作=馳星周
撮影=アーサー・ウォン
音楽=梅林茂
美術=種田陽平
出演=金城武、山本未来、椎名桔平、キャシー・チャウ、エリック・ツァン
 
[ストーリー]
 眠らない街(不夜城)・新宿歌舞伎町。さまざまな民族が交錯し、欲望が渦巻くこの街で、日本人と台湾人の混血児である劉健一(金城)は一匹狼の故買屋として中国系マフィア社会で器用に生きていた。しかし、元相棒の呉富春(椎名)が歌舞伎町に舞い戻り、上海マフィアの幹部を殺し、雲隠れしたことから事態は急変する。健一は上海マフィアのボス・元成貴に呼び出され3日以内に富春を捜し出さなければ命はないと脅される。そんな渦中、「呉富春を売りたい」という謎の女・夏美(山本)が現れる。嘘を重ねる夏美に翻弄される健一だったが、次第に同じ匂いを感じ、激しい恋に落ちていくのだったが……。
 
[コメント]
 お気に入りの小説ほど、映画化の際には厳しい目で観てしまうが、この作品は馳星周の同名ベストセラー小説を見事に映像に結実した作品と言える。原作ではハードボイルドでドライな話を映画では健一と夏美の恋愛模様を中心に話が展開し、2人の感情のぶつかり合いを描きだすことによってよりドラマとして深みのある作品となっている。
 監督の、「究極的な愛の形・現実の世界を撮りたかった」との言葉どおり、孤独で悲しい恋愛劇となっている。特に最後の場面で健一が車のなかで呟くセリフには、現実のなかで生きるしかない人間ゆえの重みがあり、この作品を象徴している。そして、この作品のために作られたB'zの主題歌が余韻として残り、せつなさを強く印象づけている。
 キャストでは、金城武と山本未来はまさにハマリ役であり、そして椎名桔平も凄い。製作スタッフは日本・香港の先鋭が入り交じり、その結果、香港映画の特徴であるスピード感と独特の陶酔感が日本映画に見事にマッチしている。
 この映画は日本映画の枠を超えた新たなる可能性を感じさせる作品であり、アジアを代表する映画と言っていいだろう。 (守)

がんばっていきまっしょい
1998年/東映配給/2時間
 
監督・脚本=磯村一路
原作=敷村良子
撮影=長田勇市
音楽=リーチェ
美術=磯田典宏
編集=菊池純一
出演=田中麗奈、清水真実、中嶋朋子、森山良子、白竜
 
[ストーリー]
 20年前の四国松山。悦子(田中)は出来のいい姉にコンプレックスをもち、高校に入学したものの打ち込めるものを見つけられずにいた。そんな時、ふとボートに惹かれ、独り女子ボート部を作り、残り4人の部員も得て、たどたどしく活動を始める。
 イッチョマエに合宿までしたが、新人戦でビリの惨敗。<お嬢さんクルー>とまで言われて、少女たちのなかで何かが弾けた。負けてたまるか! それからは、やる気の無い新任のコーチ(中嶋)の嫌みにもめげず、悦子の貧血やぎっくり腰にもめげず……「東高〜、がんばっていきまっしょい!」と。
 
[コメント]
 昔、私は授業で一週間だけボートをやったことがある。あれは全身のバネで漕ぐので、非力な女子学生にも驚くほどのスピードが出せ、大変さにもまして、滑るように水の上を疾走する爽快さはちょっと忘れられない。
 それにしてもこの難しい社会問題を家族愛の力で包み込んでしまったマニラトナム監督の構成力は凄いと思う。宗教や身分の隔たりよりも家族愛が勝ることを端的に示したのが、その隔たりからまったく相容れなかった両家の父親が、共通の孫である双子の男の子を通してお互いの心を開いていくくだりである。宗教や身分の違いによる争いが人間の情愛に比べれればいかに些細なことであるかを、実に明快に観客に提示している。
 さて、ストレートな青春物語である。一歩間違えばギトギトのスポ根物になる話なのに、淡々としている。自然にスーッと観る者の心に入ってくる。松山の素朴な風情のせいなのか、逆に妙に洗練された映像・ファッションのせいなのか、それとも汗をかいてもあくまで涼しげな田中麗奈ちゃんの容貌のせいなのか……。いや、それだけではない。いつもは斜に構えて悟りきったふりして、これが今の日本を生きる正しい大人の姿よ、と言いた気な人ですら、体の奥のほうにもっている何か……「いいなー、一生懸命になれるものがあって」「ちょっとちょっと、必死なのって意外とすごく綺麗じゃない」という呟きを、素直に認めさせてくれる映画なのだ。
 貴方が幾つでも、男でも女でも、何処にいても、やっぱり正攻法にひたむきになってみたら、違うものがある。お金や外見ではないところで、大きな勇気を与えてくれる。そう思わせてくれる、久々の日本映画だ。特に思春期のなかで悩んでいる人たちに、観て欲しい作品である。 (夏)

犬、走る/DOG RACE
1998年/シネカノン配給/1時間50分
 
監督・脚本=崔洋一
原案=丸山昇一
脚本=鄭義信
撮影=藤澤順一
出演=岸谷五朗、大杉漣、香川照之、冨樫真、國村準
 
[ストーリー]
 かつての弟分であるヤクザの組長権田に警察情報を流すことによって金を貰うという韓国人情報屋の秀吉(大杉)は、相棒で不眠症に悩む新宿署の刑事・中山(岸谷)と、その恋人の桃花(富樫)という中国人女性と三人でいつもつるんでいる。秀吉は桃花と密かに関係しているのだが、厄介なことに彼女は中山の恋人であるのと同時に権田の愛人でもあるのだ。彼女はそんな彼らのあいだを擦り抜けてしたたかに生きている。さらには密入国の斡旋や裏バカラ屋等の元締めとしても暗躍していたのだ……。が、ある日彼女は秀吉のアパートのベッドの上で最期をとげることになる。
 何故? 誰が? 一体どうして?! 秀吉は駆けつけた中山と二人で、事件究明のため、死体を担いで奔走する破目になり……。
 
[コメント]
 この映画は『犬、走る』のタイトル通り、犬畜生にも劣るろくでもない奴等がろくでもないことで、新宿歌舞伎町を舞台に狂奔するろくでもない映画だ。なかでも一番ろくでもないのが大杉漣演ずるところの秀吉だろう。ストーリー上では語られていないが、恐らくヤクザの組長権田とは、かつて渡日したときの兄弟分だったのだろう。一人は出世してヤクザの親分迄になり、もう一人は落ちぶれ、かつての弟分におどおどと諂い傅く。その情けないダメ人間ぶりは同情の余地もない。が、人間ここ迄落ちれば楽しくさえあるだろうと思わせるほどのプライドの無さは何故だか憎めず、逆に観ていて清々しいほどだった。
 その卑屈なくせにやけに生き生きとした屈託の無さ。それは多分何かを諦めた男の潔さなのかもしれない。新宿歌舞伎町というこの町ではさまざまな人間が生息しているし、当然秀吉のように夢破れ、それでも何かにすがりつくようにしてこの町を生きている者もいるのだ。社会の底辺にしがみ付き、あがきながらも。
 この喧騒絶えない猥雑な町の中を疾走し続ける彼らの刹那的な生き方は、そんな切ないまでの哀しさで満ちていた。 (齋)