美しき女優たち

11月26日 「美しき女優たち」 (やまばとホール)

●Time Table●
13:20−13:30
13:30−15:06
15:30−17:13
17:40−19:04
19:30−21:01
オープニング
しとやかな獣
黒い十人の女
盲獣
妻は告白する

しとやかな獣
1962年/大映/1時間36分
 
監督=川島雄三
原作・脚本=新藤兼人
撮影=宗川信夫
出演=若尾文子、伊藤雄之助、山岡久乃、浜田ゆう子、山茶花究
 
しとやかな獣
 
[ストーリー]
 公団住宅に住む、ある一家のもとに、中年の紳士、変な外人、そして色っぽい女性が乗り込んできた。息子が勤め先の芸能プロのお金を横領したらしく、そこの社長たちらしい。しかして、元海軍中佐の父はそのおとぼけな振る舞いでどうにか退散させるが、今度は流行作家の愛人をしている娘がパトロンとけんかして帰ってきた。息子も帰ってきて、この一家のはちゃめちゃな騒動はつづく。
 
[コメント]
 鬼才・川島雄三監督の鬼才溢れる傑作!
 とにかくそのストーリーもすごいが、まず驚くのがカメラアングル。二間しかない公団住宅が舞台のほとんど1幕劇といっていい空間を、あるときはテーブルの下から、次は室内の真俯瞰から、次はちっちゃい通気窓からと、アングルの変幻自在に、おい、よくこんなところから撮れるな、とただ唖然!
 そして登場人物のひとかどではない役柄をうまく演じる俳優陣。特に娘=愛人役(浜田ゆう子?)の今でいうキャミソール姿での立ち居振る舞いは、藤原紀香まっ青のフェロモン、バリバリ全開で名もない役者の凄さを感じる。
 圧巻なのは音楽の使い方。ドラ息子とバカ娘が享楽的に踊り、その向こうでは両親がなにもないかの如く食事をしているバックに、能の和楽が流れてくる。そのとりあわせのミョーさ加減が、観るものを心地いい眩惑に誘い込む。
 鬼才として昨今、再評価の高い川島雄三監督だが、監督個人の才能はもとより、こういった作品を作り出せた当時の日本映画会社なり、日本映画界の懐の深さ、厚さに今、日本映画を愛するものとして、羨望と嫉妬を感じざるを得ない。 (セ)

黒い十人の女
1961年/大映/1時間43分
 
監督=市川崑
脚本=和田夏十
撮影=小林節雄
音楽=芥川也寸志
出演=岸恵子、船越英二、山本富士子、宮城まり子、中村玉緒、岸田今日子
 
黒い十人の女
 
[ストーリー]
 TVプロデューサー・風末吉(船越)はモテモテ男。妻がいるにもかかわらず彼にむらがる女は多く、なんと風には妻を含めて十人もの女と関係があった。やがて十人の妖しい女たちが集まっていっそ風が死ねば良い、とグチをこぼすようになる。そんな話を耳にした風は、自分が殺されるのではないかと思いこむ。彼は妻の双葉(山本)に相談を持ちかけ、双葉は女たちの前で大芝居を仕組む……。
 やがて、男は女たちに社会的に抹殺される。TV業界の男と女の人間模様を題材に、市川崑の独特のセンスが光る傑作。
 
[コメント]
 この『黒い十人の女』は、現代のオシャレ若者から絶大な支持を得ているPIZZICATO FIVEの小西康陽がリバイバル上映の仕掛人となったことで、若者の間でブームにすらなった。公開以来ほとんど上映される機会もなく幻の傑作と言われてきたこの作品は、『炎上』『鍵』『野火』と名作をたて続けに発表して、当時絶好調だった名匠市川崑の『おとうと』に続く作品である。日本映画離れしたシャープで、オシャレで、グラフィックな映像・コマ割りには40年近く経った今でも、その斬新さに息を呑む。さらに、みどころは妖し気な美しい女優陣。クールな岸恵子、妻を演じる山本富士子、宮城まり子、現在でもお馴染み中村玉緒、岸田今日子……。妖しい! カッコイイ! マヌケ! こんなにオンナを魅力的に撮れる才能は稀だ。代わる代わる風こと船越英二に10人もの女たちが群がる様は、異様すぎて笑いを誘う。特に、冒頭のシーンでゾロゾロと9人の女たちが岸恵子を追う姿は見もの。 (真)

盲獣
1969年/大映/1時間24分
 
監督=増村保造
原作=江戸川乱歩
脚本=白坂依志夫
撮影=小林節雄
音楽=林光
美術=間野重雄
出演=船越英二、緑魔子、千石規子
 
盲獣
 
[ストーリー]
 新進のモデル、アキ(緑)は、ある日突然、盲目の男(船越)にさらわれ、巨大な女体像のある倉庫の一室に監禁される。男はアキをモデルに彫刻を作り始める。最初は拒んでいたアキもいつしか男との暗闇のなかでマゾヒスティックなセックスに没入していく。
 江戸川乱歩原作の小説を増村保造監督が映画化。
 
[コメント]
 昨今、再評価の高い増村保造監督だが、よく言われる濃密な画面構成の素晴しさは、私にはよくわからない。確かに緻密な画面構成とは思うが、それ自体によって作品が好評価されているのではないと思う。では何か?
 彼はそれまで描かれてきた日本映画の女性像をくつがえした最初の監督である。主張する(決してインテリという意味ではない)女性を女性の側から撮った最初の監督であろう。それが語り手である女性(本作ではアキ)を必要以上に能弁にさせ、先に述べた画面構成力と相まって、訴えかけの鋭い作品になっている。また、その女性の描き方は決して官能(フェロモン)的ではなく、身体(フィテッシュ)的だ。本作でも緑魔子のキャミソール姿やヌードシーンは現代の芸能人以上に奇麗だが決して官能的ではない。
 思うにそういった女性像を描いていったことが、男根的社会の女性像といった抑圧を解放するもの(安易なフェニミズムでなく)として、再評価されているのではないだろうか。
 「人間よ、人間として解放しなさい。」というインテリ&エリート監督のメッセージが裏に潜まれていると思うのは私の深読みか? (セ)

妻は告白する
1961年/大映/1時間31分
 
監督=増村保造
原作=円山雅也
脚本=井手雅人
撮影=小林節雄
出演=若尾文子、川口浩、根上淳、馬渕晴子、小沢栄太郎
 
妻は告白する
 
[ストーリー]
 登山パーティのひとりが転落死する。パーティのメンバーは、大学の助教授とその妻(若尾)、助教授の教え子で妻の愛人である男(川口)の3人。死んだのは助教授で、ザイルを切った妻は、その行為が事故を最低限度にするための緊急非難であったか、それとも殺意によるものだったか裁判にかけられる。
 増村保造=若尾文子コンビの最高傑作!