日本映画界に新風を巻き起こす若手作家たち

11月23日 「日本映画界に新風を巻き起こす若手作家たち」 (やまばとホール)

●Time Table●
10:20−10:30
10:30−12:21
12:50−14:36
14:50−16:05
16:20−17:55
18:15−19:53
オープニング
SF サムライ・フィクション
アンラッキー・モンキー
女優霊
リング
らせん

SF サムライ・フィクション
1998年/シネカノン配給/1時間51分
 
監督・脚色=中野裕之
脚本=斎藤ひろし
撮影=矢島祐次郎
音楽=布袋寅泰
美術=望月正照
編集=宮崎清春
出演=風間杜夫、吹越満、布袋寅泰、緒川たまき、谷啓
 
SF サムライ・フィクション
 
[ストーリー]
 時を遡ること300年。時代は天下泰平のサムライ社会。浪人から刀番に取りたてられた。風祭蘭之介(布袋)は偶然の成り行き上、将軍家から拝領した宝刀を奪って逃げるはめに陥る。盗難がバレるのを恐れた藩の重役たちは贋物を作り、事件のもみ消しをはかるが……。時を同じくして藩の家老・犬飼勘膳の息子平四郎(吹越)が剣の修行を終えて江戸から帰って来る。ことのいきさつを聞き、血気にはやる平四郎は父の制止を振り切り、幼なじみの黒沢や鈴木とともに風祭を追う旅に出かける。
 
[コメント]
 黒澤明監督の逝去による特別番組として、映画のメイキングを兼ねた過去のドキュメンタリーがNHKで放映されていた。今では大御所とよばれている役者たちが、監督に檄をとばされながら何度も撮り直されるというシーンがあり、その熱のこもった演出はもとより、役者たちの緊張した表情がとても印象的で、映像に映らない部分における監督の微に入り細に穿った演技指導においてはただただ圧倒されるばかりだった。そんな妥協を許さない厳しいまでの姿勢がこれまで数多くの傑作を生みだしてきたのだろう。
 「MTV界のクロサワ」と称される中野監督も自他ともに認めるクロサワフリークの一人であり、映像作家として、たとえ役者が素晴らしい演技をしたとしても映像として良くなければNGをだすことも辞さなかったという。そんな映像に対するこだわりからか、この映画からはそこはかとなく黒澤監督の影響みたいなものを感じとることができた。それはまるで黒澤監督に捧げられたと言っても過言ではないと思えるほどに。
 ただ黒澤監督の映画は官能的でありながらも、どこかストイックな趣きがあるのに対して、中野監督の場合は気持ちいいまでのオプティミスティックな魅力で溢れている。多分それは監督が常日頃から提唱している“ピースな精神”なるものの現われに違いないのだろう。 (齋)

アンラッキー・モンキー
UNLUCKY MONKEY
1997年/松竹富士配給/1時間46分
 
監督・脚本=サブ
撮影=栗山修司
音楽=岡本大介
美術=大庭勇人
編集=宮田三清
出演=堤真一、清水宏、山本亨、鈴木一功、吉野公佳
 
[ストーリー]
 自称一流大学出の詐欺師、山崎(堤)。何もしてないのに大金の入ったかばんを手にし、強盗犯人として追われる羽目に。おまけに逃げる最中に、その気もないのに通りすがりの女(吉野)を刺してしまう。混乱と焦燥のなか、あてもなくひたすら逃げ続ける山崎。一方、解散の危機に瀕している村田組。事業の斡旋にやって来た敵対する誠竜会の立花の頭を、その気もないのにうっかりビール瓶でぶっ叩いて倒してしまう。立花を埋立地に埋め、ことなきを得ようとする村田組の三人組。が、結局は誠竜会の面々に追われる羽目に。夜の町をひたすら逃げる不運な男たち。その結末は?
 
[コメント]
 おかしくてせつない、でもやっぱりおかしい。心地よいリズムで話がころころ転がって、最後まで飽きずに楽しめる、そんな映画だ。今までこんなタイプの映画は、ありそうでなかった、ように思う。新しいタイプの映画が増えるというのは、観る側にしてみれば大きな喜びだ。その喜びを与えてくれたサブ監督に座布団一枚あげたい。もし僕が円楽師匠だったら喜々としてそれを実行に移すことだろう。でも、残念なことに僕は円楽師匠ではない。できることといえば、これからもサブ作品を観続けるということくらいだ。それくらいしか今は思いつかない。嬉しいことに年一本という安定したペースで作品を送り続けてくれている。前二作、『弾丸ランナー』も『ポストマン・ブルース』も面白かった。これからもきっと面白い映画を作り続けていくんだろう。北野武、市川準、阪本順治、といった監督さんたちも、安定したペースで独自の映画を作り、供給し続けてくれている。そういう人がどんどん増えてくれたら、観る側にしてみれば、こりゃ嬉しい。そんな邦画界であってほしい。勝手に期待しています。 (隆)

女優霊
1996年/ビターズ・エンド配給/1時間15分
 
監督・原案=中田秀夫
脚本=高橋洋
撮影=浜田毅
音楽=河村章文
美術=斎藤岩男
編集=川島章正
出演=柳ユーレイ、白島靖代、石橋けい、根岸季衣、大杉漣
 
[ストーリー]
 新人監督(柳ユーレイ)のデビュー作の撮影中、ラッシュフィルムのなかに1本の未現像のフィルムが混じっていた。そのなかに写っていた1人の女。それを見てしまったときから、次々と奇怪な出来事が起こり始める……。
 
[コメント]
 もともとホラー映画は好きではないのに、たまたま仕事で見た「中田ホラー」には、肌が泡立つようなチクチクとした恐怖を味合わせられながらも、目が離せなくなってしまった。うまい! 面白い! そして、とても怖い! これが初監督作品だなんて——と唸ってしまった記憶がある。
 処女作を撮る新人監督を主人公とする物語と、現実にこれが初監督作品である事実とを二重写しにして、さらに撮影の裏側をリアルに見せていくという仕掛けの、なんと緻密な設計であることか。そして随所にさりげなく遊びを織り込むという、その余裕! 監督した中田秀夫は、にっかつ撮影所を拠点に神代辰巳や澤井信一郎のもとで助監督の経験を積んできた、いわば「最後の撮影所育ち」である。撮影所のことなら隅から隅まで知っている。どこにどんな暗やみがあり、どこにどんな気配が似合うのか——。フィルムに魂やおん念が宿るという、私たちの心に潜む本質的な畏れについても熟知しているに違いない。もちろん、映画にかかわる人間たちの夢や挫折をも見つめてきたのは間違いない。その彼が撮影所を舞台に撮ったホラー映画とくれば、『女優霊』がめっぽう面白いのも当然かもしれない。そして脚本、撮影、照明、編集、役者などプロの力を結集するとどうなるか、という見事なケースワークでもある。そうそう、続く『リング』もそうだが、ふとした拍子に映画の一場面がフラッシュバックして鳥肌が立つ……という「恐怖」が持続するのも特徴。ご覧になる方は、要注意!なのだ。 (輝)

リング
1997年/東宝配給/1時間35分
 
監督=中田秀夫
原作=鈴木光司
脚色=高橋洋
撮影=林淳一郎
音楽=河井憲次
美術=斎藤岩男
編集=高橋信之
出演=松嶋菜々子、真田広之、中谷美紀、沼田曜一
 
[ストーリー]
 世間を騒がせている相次ぐ原因不明の突然死。そんな中「あるビデオを観た人は1週間後に死ぬ」という噂が人々の間で急速に広まっていた。テレビ局に勤める浅川(松嶋)はその噂と事件の関係性を追いかけているうちに自身もそのビデオを観てしまう。別れた夫(真田)に相談するが、彼も同じビデオを観てしまう。ビデオには山村貞子という女の怨念が記録されていて、噂は本当だったのだ。死の恐怖と戦いながら浅川と高山は呪いのビデオの謎に迫っていく。はたして呪いを解くカギとは……。
 
[コメント]
 ホラー映画を観る理由の一つとして、非日常・スリルを感じたいということが挙げられると思う。しかし、この映画を観たらその好奇心以上のものとなることでしょう。ジワリとくる恐怖感。それは日本のホラー映画一つの特徴だろう。
 いわゆるハリウッド映画をはじめとする外国の作品では瞬間的な恐怖が多いのに対して、日本の作品はトラウマになるような後を引くものが多い。それは日本独特の風土や歴史に関連するものが多く、そして何より主観的になれるゆえに、現実性を強く感じることでさらに恐怖心を増長させてくれるからではないだろうか。
 この映画はまさにその典型であり、さらにそれを発展させた新たな日本ホラー映画の先駆的作品と言ってもいいだろう。映画を観終わっても現実性を強く感じ、継続する恐怖があり、日常生活をおくっていても場面がオーバーラップしてしまうかもしれない。まさに恐怖度数は100。
 非日常・スリルを感じたい方、カルト的な話題の好きな方、そして好奇心旺盛な方、リングの世界をのぞいてみませんか。 (守)

らせん
1998年/東宝配給/1時間38分
 
監督・脚本=飯田譲治
原作=鈴木光司
撮影=渡部眞
音楽=LA FINCA
出演=佐藤浩市、中谷美紀、鶴見辰吾、真田広之
 
[ストーリー]
 謎の死を遂げた高山(真田)の死体解剖を担当することになったのは、元同級生で監察医の安藤(佐藤)だった。そして、安藤は高山の遺体から数字の書かれた紙切れを発見する。疑問を抱えた安藤の前に高山の教え子、高野舞(中谷)が現われ、高山の死因が呪いのビデオであることを知らされる。ビデオと数字の関連性を追う安藤は、その数字を「DNP PRESENT」と解読する。はたしてその言葉が意味するものは何か、そして謎を追う安藤が到達する真理とは……。
 『リング』のその後を圧倒的なスケールで描いた、かつてないカルトホラームービー。
 
[コメント]
 ホラー映画の面白さとして、カルト的な謎をいかに論理的に考察していくか、つまり、どのように話に客観性をもたらせしていくかということがあると思う。そういった意味でも独特のリアリティを持つこの作品は、映像の怖さにプラスしたおもしろみがある。
 『リング』を観た人は、ストーリーの急展開に驚いた人も多いかもしれない。『らせん』は『リング』の続編ではあるが、物語としては一線を画している。結局、『リング』の浅川の努力は何だったのか。それは単なる『らせん』のプロローグにすぎなかったのだ。全く予想もつかない話の展開、そしてそれは、さらなる恐怖を助長していると思う。
 この作品は奥が深く、スケールの大きさと謎が多いゆえに、一度観ただけでは理解できないかもしれない。映像的な恐怖と奥深いミステリーの要素。これは、単なるカルトホラームービーにとどまらない新しいタイプの映画といえる。ホラー映画の特徴である意外性と自分だけの恐怖を感じてほしいので見所は『リング』同様、あえて言いませんが、恐怖度数は同じく100と言っておきましょう。そして、プラスアルファの要素。『リング』を観た人は当然観てほしい作品であり、これを観なければ眠れないに違いない。 (守)