もうひとつの天安門

11月28日 「もうひとつの天安門」 (パルテノン多摩小ホール)

●Time Table●
14:15−17:24
17:40−18:15
18:35−21:44
天安門
'89天安門−その日の北京−を語る ゲスト:張春祥(京劇俳優)
天安門

天安門
THE GATE OF HEAVENLY PEACE
1995年/アメリカ/ロング・ボウ・グループ/アップリンク配給/3時間9分
 
監督=リチャード・ゴードン、カーマ・ヒントン
脚本=シュレミ・バルメ、ジョン・クロウリー
撮影=リチャード・ゴードン
音楽=マーク・ペブスナー
ナレーター=デボラ・エイモス
 
[ストーリー]
 1989年6月、中国・北京の天安門広場に民主化デモに集まった学生たちが、軍隊による武力排除されるまでを、当時の映像とインタビュウで構成するドキュメンタリー。何故、学生たちはデモ、ハンストを行なったのか。何故、武力介入が行われたのか。その真実を追求する。
 
[コメント]
 <天安門事件>が起きた当時、天安門広場に集まった民衆を戦車が追い回し、発砲するニュースフィルムの映像は、テレビを通して全世界に衝撃を与えた。健全なる民主化を求める市民に対して武力制圧しようとする中国政府の姿勢に強い憤りを覚えたことは、ついこの間のことのようだ。しかし、この映画を観ると、この事件に関してある一面しか報道されていなかったことに気付かされる。実際に民主化運動を行なおうとする学生側にしっかりとした運動基盤がなく、一貫した指針がないため、どこでデモを打ち切ればいいのかわからず、内部抗争までに発展しかねない状況に置かれていたことなどは今まで知らされていなかった真実である。当時、学生運動の指導者の一人・柴玲(チャイ・リン)が流血の惨事を涙ながらに訴える姿は、西側の多くの人々の胸に迫った。だが、この映画のなかで武力行使が行なわれる直前のインタビュウとして、彼女は次のように語っている。「政府を追い詰めて人民を虐殺させなければ、民衆は目覚めない。だけれど、私は政府に殺されたくないので広場から逃げます」と……。この映画は一見、中立的な立場をとりながら、柴玲をはじめとする学生運動の指導者の行動に一石を投じようとしている。しかし、あの混乱した状況におかれていた彼らの行動・言動を責めることは意味がないだろう。少なくとも、柴玲のカリスマ性をもったアジテーションがなければ、学生運動もあれほどまでに盛り上がらなかったであろうし、西側諸国にも強い衝撃を与えなかったと思われる。確かに流血の惨事があったことは悲劇であるが、長い目でみれば歴史を変えるひとつの礎になったことも事実である。現在の中国情勢をふまえながら、この事件の背景・影響を再検証すべき時期にきている。 (淳)