戦後ミステリー&サスペンス特選2

11月27日 「戦後ミステリー&サスペンス特選2」 (やまばとホール)

●Time Table●
11:00−11:10
11:10−13:33
14:00−15:35
16:00−19:03
オープニング
天国と地獄
黒い画集 あるサラリーマンの証言
飢餓海峡

天国と地獄
1963年/東宝/2時間23分
 
監督=黒澤明
原作=エド・マクベイン
脚本=黒澤明、小国英雄、菊島隆三、久板栄二郎
撮影=中井朝一、斎藤孝雄
音楽=佐藤勝
美術=村木与四郎
出演=三船敏郎、仲代達矢、香川京子、山崎努
 
[ストーリー]
 製靴会社常務の権藤(三船)は、息子を誘拐したという脅迫電話を受けた。その身代金は自社株買い占めのために自宅や家財を抵当に調達した資金に近い。だがその直後に彼の息子は戻って来たので、誘拐されたのは彼の運転手の息子だったことがわかる。彼は苦慮した結果、破産覚悟で支払いに応じる。取引は疾走する特急で行われ、人質は無事解放された。権藤の立場を思いやる警察(仲代)がその金を取り戻す捜査を開始する。懸命の努力の結果、次々に手がかりが見つかり、犯人(山崎)を追いつめて行く。
 
[コメント]
 澤映画のおもしろさは、練りに練った完璧な脚本、望遠と複数カメラを多用した圧倒的な緊迫画面、展開にピタッとはまった音楽と効果音があげられるが、なんといっても秀逸なのは「黒澤一家」とも呼ばれる常連の助演者ではないだろうか。志村喬、木村功、加藤武、土屋嘉男、千秋実等々期待を裏切らない。病院焼却場で燃えないゴミと格闘している汚い藤原釜足がたまらなくおもしろい。また奥さんの香川京子に気弱な運転手の佐田豊が最高の演技を見せてくれるのがうれしい。こうした配役はいつも適材適所で見事に調和し、盛り上げてくれる。そして、この映画で鮮烈デビューの山崎努が、カミソリのように鋭く、冷徹なインターン青年を好演。その後の演技派性格俳優の位置付けを決定的にした。馬鹿にしながら敬意を表している「権藤さん」と呼ぶ音の響きが印象的で忘れられない。部分的だが黒澤映画で初めてカラーを使った煙突からピンクの煙が出る場面、高台の権藤宅の大きな窓を開けると下界の騒音がゴーと入ってくる場面、特急列車での身代金受け渡し場面のダイナミックなスピード感など独創的な黒澤技法が豊富に展開される。『用心棒』(61年)『椿三十郎』(62年)と、この時期の黒澤映画が最高。黒澤監督様、息もつかせず一気に見せるこんなおもしろい映画をまた撮って下さい。62年興行収入、63年キネマ旬報ベストワン。 (眞)

黒い画集 あるサラリーマンの証言
1960年/東宝/1時間35分
 
監督=堀川弘道
原作=松本清張(『黒い画集』より)
脚本=橋本忍
撮影=中井朝一
音楽=池野成
美術=村木忍
出演=小林桂樹、原知佐子、平田昭彦、西村晃
 
[コメント]
 情事の帰り道、ある中年の課長(小林)が自宅の隣に住む保険外交員とすれちがう。気まずいが何でもないと思えた出会いだったが、これにより殺人事件の証人に巻き込まれ、破滅へと導かれていくサラリーマンの恐怖を描く。原作は松本清張の『黒い画集』のなかの一扁「証言」。当時、東宝では、森繁久彌、小林桂樹による<社長シリーズ>を連作しており、そのなかでの浮気は恐妻喜劇のモチーフとして笑いを誘ったが、本作では同じ小林桂樹でも陰と陽の対照をもって、サラリーマンの安易な日常生活の落とし穴を描いてみせる。新鮮な現代映画の登場が評価され、60年のキネマ旬報ベストテンの第2位に選出された。

飢餓海峡
1964年/東映/3時間3分
 
監督=内田吐夢
原作=水上勉
脚本=鈴木尚之
撮影=仲澤半次郎
音楽=冨田勲
美術=森幹男
出演=三國連太郎、左幸子、伴淳三郎、高倉健
 
[ストーリー]
 昭和22年9月20日、北海道岩内の質店に押し入り一家三人を惨殺し放火。折からの台風10号のため転覆した青函連絡船の大事故に紛れ、津軽海峡の闇に消えた三人組の男たち。逃亡中の男犬飼(三國)は一夜を共にした娼婦八重(左)に何も語らずに金を手渡し去った。犬飼へ愛を抱き、唯一の心の支えとしてひたすらに生きてゆく八重。それから10年後、皮肉な運命の歯車は回り始める。一途な女の愛の執念は、愛する男を新たなる犯罪の渦中へと引きずり込んでゆくのだった。困窮を極めた人間の欲望と運命、そして善悪とは……。
 
[コメント]
 水上勉原作の同名小説を、内田吐夢監督の手によって映画化されたのがこの『飢餓海峡』。主演は三國連太郎、脇を左幸子、伴淳三郎、高倉健となんと豪華な顔ぶれ。とは言ってもエンディングのクレジットを見るまで気付かなかった私が言っても説得力に欠けますナ。皆さん最近の顔しか知らなかったのですけど、若い頃から光っていたのですね。それはさておき、この映画は終戦間もない復興途上の日本が舞台となっています。戦争のことはいろいろ聞かされて知っているつもりだったのに、私はこの映画の時代背景を観て、初めて聞いたことのようにハッとしてしまった。この映画のストーリーがフィクションだとしても、背景や雰囲気などが私には全然現実感がないのです。私たちの世代にとって、戦争は全くの過去のものと言えるのかもしれない。飽食の時代に生きて、不満はないけど満足しているわけでもない、無気力、無関心なと言われるX世代だからか、犬飼のような欲望は理解できない。しかし「飽食海峡」でも「満腹海峡」でもない。やはり「飢餓海峡」のなかの私たちである。何に対しての欲望か、何故不満なのか分からない。多くは何となく、どうでもいいとなる。でも、私たちはウエテイル。そんなことを思った19歳の私でした。 (樹)