今振り返る戦後・アジア・日本

11月23日 「今振り返る戦後・アジア・日本」 (やまばとホール)

●Time Table●
11:00−11:10
11:10−13:11
13:30−15:10
15:45−17:23
オープニング
乳泉村の子
愛の黙示録
ナヌムの家

乳泉村の子
1991年/中国・香港合作/上海映画製作所、豪成影業公司/東和プロモーション、大映・東光徳間配給/2時間1分
 
監督=謝晋(シャ・チン)
脚本=リー・チュン、リー・シャ
撮影=ルー・チュンフー
音楽=チン・フーツァイ
美術=チェン・ソーミン
出演=丁一(テイン・イー)、栗原小巻、プー・ツシン
 
[ストーリー]
 主人公は、1945年中国の日本軍駐屯地で生まれたが、その8月日本軍は敗れた。
 その子は河南省洛陽近くの村で産婆の羊角(丁一)に拾われた。
暮らしは貧しかったが息子・フールーと娘・シュウシュウに囲まれたその子<犬坊>は聡明な子と成長していく。
 出稼ぎ先の事故で死ぬフールー、その後始末のためやむなく里子に出される犬坊、家に戻された時、慕っている姉、シュウシュウは貧しさ故に隣村の年老いた金持ちに嫁いで行った。老いた羊角は犬坊の行く末を案じ、清涼寺の高僧に頼み弟子(後の明鏡)にしてもらう。
 中国佛教代表団は来日以来、多忙な日程をこなしているが、そんななか、<明鏡>を訪れる老婦人の姿があった。
 
[コメント]
 3年前どんな作品であるかも知らず何故かふらりと入って観た『乳泉村の子』。
 ほとんど最初から最後まで涙と鳴咽を抑えることが出来なかった。
 これまでに中国侵略時代を背景にした非道な醜い日本人の登場する作品を数本観たのみの私にとって衝撃的な出会いであった。
 敵国・日本人の子を拾い厳しい条件の下で育てようとする心は、将来の老いに備える労働力として、家の事情、自分の都合にあわせての行為だったに違いないのだが……。
 しかし、やはり大陸的な中国人の民族性を感じざるを得なかった。
 村の子どもたちからは「日本のガキ」「親なしガキ」といじめられたその子は<犬坊>と名付けられて、やさしさの森に包まれるように育っていく。
 そこには確かな愛で結ばれていく家族の姿があった。
 だが、貧しさ故にそれぞれの哀しい別れの時がくる。
 この作品に限らずだが、不幸な時代からのメッセージをしっかり受け止め、後世代に伝達出来得るツールとしての<映画>は、やはりすばらしいと思える。
 そして、この普遍的な人間愛を描く視点の背景にある日中戦争の悲劇を改めて忘れてはならないと思うのである。 (きよか)

愛の黙示録
1996年/日本・韓国合作/映画「愛の黙示録」を世界におくる会/1時間40分
 
監督=キム・スヨン
脚本=中島丈博
撮影=チョン・イルソン
音楽=申乗河
美術=金有峻、渡辺義雄
編集=朴徳烈
出演=石田えり、キル・ヨンウ、シム・ホンソク、キム・ジンス
 
[ストーリー]
 1939年——。日本の支配下にあった韓国の木浦で、日本人の田内千鶴子(石田)は韓国人であるユン・チホと結婚する。周囲から白い目で見られ、日韓の暗い歴史と南北分断の厳しい現実に翻弄されながらも、夫との愛を貫く千鶴子。貧しいながらも夫の運営する孤児院を義姉と共に支えていた。
 ある日、夫が行方不明になり、千鶴子はある決意をする。日本人である彼女が選んだ道——それは、残された数十名の韓国人の孤児たちのオモニ(母)になることだった。実話をもとに製作された、戦後初の日韓合作映画。
 
[コメント]
 これは、戦前から戦後にかけて異郷の地・韓国で生き抜いた一人の日本女性の物語である。それはまた、「オモニになる」ために「母である」ことを捨てた母とその息子の、愛と葛藤の物語でもある。
 孤児院を営む両親のもとに生まれたがために、孤児たちと一緒に育てられた少年は、常に母の愛に飢えていた。母の喜ぶ顔が見たくて、街角に立ち稼いだお金で正月用のモチを買って帰っても、母は決して特別な言葉を少年にかけてはくれなかった。栄養不良からくる夜盲症にかかった時も、少年の変化に気付かなかった母。孤児たち皆のオモニとなった母は息子である少年だけを特別扱いすることはなかった。
 母からの愛情を独占できずに淋しさをつのらせる少年。しかし口には出せない母への思慕は、やがて恨めしさへと変わってゆく。屈折した少年時代を生き抜くためにも息子は母への反抗を繰り返す。
 「チョッパリ(日本人の蔑称)は出ていけ」 それは時に、母を深く傷つける。日本人である母を恋しく思いながらも、韓国人でありたいと願う息子のなかにも、しっかりと刻まれた民族間の溝。日本人に対する差別意識。
 行方不明の夫の帰りをただひたすら待ちながら、「韓国孤児のオモニ」として、前に進むしかなかった母の姿が悲痛である。 (上)

ナヌムの家
1995年/16mm/韓国/ボイム/パンドラ配給/1時間38分
 
監督=ビョン・ヨンジェ
撮影=キム・ヨンテク
音楽=オ・ユンソク、チョ・ビョンヒ
編集=パク・コクチ
録音=イ・ヨンギル
 
[ストーリー]
 6人の元従軍慰安婦たちが共同生活をおくる「ナヌム」(分かち合いの意)の家。女性監督のビョン・ヨンジェは、彼女たちに撮影許可を貰うまで1年2ヵ月の間、ひたすらこの家に通いつめた。
 カメラはこの家に住むハルモニ(おばあさん)たちの日常を丹念に追い、その心のつぶやきに耳を傾ける。
 山形国際ドキュメンタリー映画祭'95で、「カメラの前にも後ろにもやさしさがあふれている」と絶賛され、小川紳介賞を受賞した。
 
[コメント]
 日本では、第二次大戦のことはもちろん、戦後という言葉すら過去のものとして葬り去られようとしている。それは、ある種敗戦国の、そして被爆国の特権でもあるように……。しかし、<ナヌムの家>に暮らす彼女たちは、自ら望んで従軍慰安婦になったわけではないが、戦後50年以上経った現在もそれを背負い、それによってその後の人生を全く違うものとして歩まざるを得なくなってしまった。
 本来被害者であるはずの彼女たちだが、逆に蔑まれ、謝罪も生活の保障も受けていない。この映画のなかで、彼女たちはそれをキャメラを通して声高に訴えているのではない。淡々とこれまでの人生を振り返るおだやかな口調が逆に観る者の共感を呼び、戦争の爪跡のむごたらしさ、彼女たちのこれまで人生のつらさを強く想起させる。ここまで長い間人生の歯車を狂わされ続けると諦観してしまうのだろうかと、その歴史の重さがずっしり観客にのしかかってくるのだ。
 また、最近のドキュメンタリーの傾向として、作り手が自分の導きたい結論に帰結するようストーリーを組み立てていくといった作家性を明確に打ち出しているものが増えているが、この作品のように現実の問題をありのままの姿で投げかけるスタイルの場合のほうが、より深く観客の胸の内に突き刺さってくるように感じられた。
 今後このような過ちを繰り返さないためにも彼女たちの立場を保障・保護し、加害者としての責任を明確にすることが急務である。 (淳)