追悼・渥美清 Part1

11月28日 「追悼・渥美清 Part1」 (やまばとホール)

拝啓天皇陛下様
1963年/松竹/1時間39分
 
監督・脚本=野村芳太郎
原作=棟田博
脚本=多賀祥介
撮影=川又昂
音楽=芥川也寸志
出演=渥美清、長門裕之、中村メイコ、左幸子、藤山寛美
 
[ストーリー]
 3歳の時に母親こ死に別れた山田正助(渥美)は昭和6年に入隊する。二等兵のときはいじめにもあうが、親友・棟本(長門)に出会うなど山田には軍隊が性にあっていた。山田に好意を持つ中隊長は垣内(藤山)に字を教えさせる。秋季大演習中に天皇陛下が山田のすぐ側を通り山田は優しそうな姿に親しみを感じる。南京陥落の報に、戦争が終わり除隊になると思った山田は、天皇宛に自分だけは軍隊に残してくれるようにと手紙を書き始めるが、思いとどまる。しかし戦争は拡大し、野戦部隊として中支にゆく。中隊長は戦死し、棟本は従軍作家として名を上げる。そして終戦。昭和25年棟本と再会し井上正子(中村)と結婚すると紹介するが……。
 
[コメント]
 人の善い、しかしどこかいつも恵まれない渥美の持ち味が善く出ている。庶民の味と言うか寅さんの原形がここに出ていると思う。映画スターとしての地位を確立した出世作と言われているのももっともである。昭和初めの不景気な時代に、軍隊だけが働けて食事のできる場所であった。この時代背景がもう少し強く出ていれば、この映画をもっと良いものにしたかもしれない。しかし軍隊の無意味さ、合理的であるべきはずの軍隊がなぜ精神主義にならざるをえなかったのか考えさせられることも多い。野戦のあと累々とする兵士の死体。しかし、この映画は『禁じられた遊び』のように強烈に反戦を訴えるものでもない。強いて言えば一庶民が時代の大きな波に流されてゆく哀れさを描いたものと言えるのではなかろうか。ここで寅さんを論じるつもりはないが、人を信じ精一杯に生きていくが、強烈に自己主張をして幸福を掴まえようとせずに身を引いていく生き方が、我々日本人の心の琴線に触れるものがあるのであろう。天国にいる寅さんの冥福を祈りたい。 (寺)

男はつらいよ(第1作)
1969年/松竹/1時間31分
 
監督・原作・脚本=山田洋次
脚本=森崎東
撮影=高羽哲夫
音楽=山本直純
出演=渥美清、倍賞千恵子、光本幸子、前田吟、笠智衆、森川信、三崎千恵子
 
[ストーリー]
 20年ぶりに故郷・柴又に帰ってきた寅次郎(渥美)は、とらやのみんなに大歓迎を受ける。しかし、妹・さくら(倍賞)のお見合いに付き添っていって大暴れし、縁談を台無しにしてしまう。いたたまれなくなった寅次郎は、また、旅に出る。旅先の奈良で御前様(笠)と娘の冬子(光本)に会い、冬子に一目惚れする。二人の荷物を持って柴又に戻った寅次郎は、さくらと博(前田)の恋の橋渡しや自分の恋を成就させるため、大奮闘する。
 
[コメント]
 <寅さんシリーズ>を途中から観始めた者が、初期の作品を観ると寅さんの印象がかなり違っていてびっくりする。肩に引っ掛けたジャケットの色などスタイルの違いもさることながら、駄々をこねて周りを困らせるけれど、どこか人生に達観した寅さんではなく、実に歯切れのいい江戸っ子ぷりで、脇目もふらず画面狭しと暴れ回る寅さんの姿がここには存在する。寅さんは次第に、「寅の奴は相変わらず困ったもんだね」と、観客を安心させるだけの存在になっていったが、本件で見せたような破天荒な活劇の魅力を別の役者をからませてでも描いて欲しかった。だが、それが行なわれなかったということは、裏返せば、渥美清以外にそれを演じることのできる役者が存在しなかったと言えるのかもしれない。本作のエンディングで、産まれたばかりの満男をさくらが抱いているシーンが印象に残ったが、さすがの山田洋次監督も、後々二十歳過ぎの満男の恋模様を描くこととなるとは、想像だにしなかっただろう。 (淳)

男はつらいよ柴又慕情(第9作)
1971年/松竹/1時間48分
 
監督・原作・脚本=山田洋次
脚本=浅間義隆
撮影=高羽哲夫
音楽=山本直純
出演=渥美清、倍賞千恵子、吉永小百合、松村達雄
 
[解説]
 <寅さんの憧れの人>のファン人気投票で1位に選ばれた吉永小百合をマドンナに迎えた一作。北陸で出会った三人娘の一人・歌子(吉永)に惚れた寅次郎。歌子は恋人との結婚に悩んでいるが、寅次郎はその結婚の相手を自分だとカン違いしてしまう。本作から2代目のおいちゃんとして松村達雄が参加した。(第14作目から下條正巳が3代目のおいちゃんになる。)