侯孝賢監督特集

11月23日 「侯孝賢監督特集」 (やまばとホール)

川の流れに草は青々
在那河畔青草青
1982年/台湾/フランス映画社配給/1時間36分
 
監督・脚本=侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
撮影=陳坤厚(チェン・クンホウ)
美術=杞凱慶(ジー・カイチン)
編集=廖慶松(リャオ・チンソン)
出演=鐘鎮涛(ケニー・ビー)、江玲(ジャン・リン)、陳美鳳(チャン・メイフォン)
 
[ストーリー]
 青年教師・大年(鐘鎮涛)は、代用教員として、台北からのどかな山村、内湾の小学校に赴任してくる。川に出かけた大年は、毒を流して魚を採っている男を見つけ注意するが、逆に殴られてしまう。新聞で「愛川護魚」の記事を読んだ大年は、内湾でも同様のエコロジー運動を展開し、内湾を政府の河川保護区域に認定させ、毒流しの犯人も捕まる。学期末になり、大年は子どもたちに見送られながら内湾を後にした。
 
[コメント]
 80年に「すてきな彼女」で監督デビューした侯孝賢がその2年後にこんなにもゆかいな映画を撮っていた。台湾のガキどもはとにかく騒がしい。ワーワーギャーギャーとさながら収拾のつかないアヒルの大合唱である。スクリーンのいたるところで子どもたちが飛ぴ跳ねる、なんとも元気のいい映画である。ところで、TVドラマで異例の日本映画監督協会新人賞を受賞した岩井俊ニの「ifもしも/打ち上げ花火、下から見るか?横から見るか?」も子どもを主役に据えたものだった。こちらも子どもの描き方が素晴しく、そのカメラワークと相まって感嘆した覚えがあるが、この作品はそれを超えている。演出や映像以前に子どもという素材自体が天下一品なのだ。カメラが見事に彼らの日常に溶け込んで、演技を超えた仕草や表情を引き出している。一体監督は子どもたちにどんな魔法をかけたのだろうか? 侯孝賢35歳の時の作品である。「ある、ある。こんなこと昔はよくやったよな」と観る者を嬉しくさせるエピソードの教々。マッチ箱にクモをしのぱせたり、答案用紙に自分でハンコを押したり、検便の容器を冷凍庫に入れてみたりと、叱られると分かっていながらもやってしまうイタズラの数々。家出した母親宛の手紙を小舟に乗せて川に流す幼い兄妹。子どもたちの憎らしさといじらしさを同等に見つめながら、この作品は人間に対するやさしさにあふれている。 (志)

戯夢人生
戯夢人生
1993年/台湾/フランス映画社配給/2時間23分
 
監督=侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
原作=李天禄(リー・ティエンルー)
脚本=朱天文(チュウ・ティエンウェン)
撮影=李屏賓(リー・ピンビン)
音楽=陳明章(チャン・ミンチャン)
編集=廖慶松(リャオ・チンソン)
出演=李天禄(リー・ティエンルー)、林強(リン・チャン)、高東秀(ガオ・トンション)
 
[ストーリー]
 台湾の伝統的な人形劇・布袋戯(ポテヒ)の人形師の子として生まれた李天禄の半生を、日本統治下から終戦までの台湾史と絡めて描く。侯孝賢監督の<台湾現代史3部作>の第2部にあたる。李は8歳のとき母(高東秀)を亡くす。続いて租父も死に、継母のいじめに耐えながら成長する。やがて人形劇の腕前を認められ、旺来の布袋戯劇団で働くことになったある日、粗母を引き取ることを条件に父に独立を許される。売れっ子になった李(林強)は、座長の娘・阿茶に婿人りし、自分の劇団をもつことになる。やがて日中戦争が始まり、李の苦難の時期が始まるのだが……。
 
[コメント]
 侯孝賢監督のこの作品では、劇中に登場する人形劇を模すかのようにカメラがほとんど固定されており、そのなかで李の半生が語られている。この堅苦しい制約は、一見すると退屈な平坦さを強いるかのようだが、その実、驚くぺきことに。固定したカメラのフレームのなかでいかに人物を動かしていけば映像が生き生きと流動する空気を醸し出すことができるか、というとんでもなく果敢な実験的精神に溢れているのである。何気ない家族たちの部屋への出入りや子どもが走り抜ける様子をじっくり見て欲しい。それと同時に、現在の李が自らの過去を語るそのロ調は淡々として味わいに満ち、ほとんどドキュメンタルなタッチで撮影されていることにも注目したい。再現される過去も決してドラマ性を強調したりはしない。この奇妙な混合のされ方をしている二つの側面は、まるでほとんどそこに投げ出されているかのようにもみえるだろう。しかし、そこに在ち現れる生活の日々の姿は、確かな感情をあらわにし、生きる時間をまるごと捉えるために細心の注意を払って豊かな細部をもって組み立てられているのだ。歴史とは、言うまでもなく、一人一人の人問の生きる時間の集積であることを能弁に語る。人生の滋味に満ちた、観るものを魅了せずにはおかない傑作である。 (輝)

好男好女
好男好女
1995年/台湾、日本合作/侯孝賢電影社/松竹富士配給/1時間48分
 
監督=侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
原作=蒋碧玉(ジャン・ピーユ)
脚本=朱天文(チュウ・ティエンウェン)
撮影・美術・音楽=陳懐恩(チェン・ホァイエン)
編集=廖慶松(リャオ・チンソン)
出演=伊能静、林強(リン・チャン)、高捷(ガオ・ジェ)
 
[ストーリー]
 元ホステスの新進女優リャンジン(伊能)はヤクザな恋人アウェイ(ガオ・ジェ)を目の前で射殺された過去を持つ。彼への断ち切れぬ想いを抱えながら、新作の役作りに取り組むリャンジン。彼女が演じるのは映画「好男好女」のヒロインであり、実在の人物でもあるジャン・ピーユ。40〜50年代の台湾を舞台に、夫と共に抗日戦参加のため中国へ渡り、その後の「白色テロ」で夫を失うヒロインに、いつしか自分自身を重ねるリャンジン。一方、彼女の日常に突然嶋り響く電話のベル。FAXで送られてくるのは盗まれた彼女の日記の文面。「11月6日。天気が冷え込む。寝付けなくて朝方には手足が冷え切っている。アウェイがよく、私の脚を自分のおなかに乗せて擦って温めてくれたー。」
 
[コメント]
 それはまるで音もなくシャッターが切れるように過去と現在が混在している。あるいは作品全体が、女優のイマジネーションの産物のような不思議な静けさと浮遊感を含んでいる。「悲情城市」「戯夢人生」に続く本作は、台湾の現代史を描く3部作を締めくくる一作とも言える。劇中劇の「好男好女」は40〜50年代の抗日運動や白色テロを背景に、時代と共に生き、そして引き裂かれていった若い男女の絆を描いた実話をもとにした作品である。「『好』とは人間としての生命力、情というものを指す。時代を超えて変わらないもの、それをこの言葉に表わしたかった。」と監督が言うように、過去と現在の2組の男女を描くことで時代を超えた男女の粋、ひいては人間の本質を描いた作品に仕上がっている。 (志)

再見南国
再見南国、南國
1996年/台湾/松竹、松竹富士配給/1時間52分
 
監督=侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
原案=金介文(キン・ジェウェン)、高捷(ガオ・ジェ)
脚本=朱天文(チュウ・ティエンウェン)
撮影=李屏賓(リー・ピンビン)、陳懐恩(チェン・ホァイエン)
美術=黄文英(ホァン・ウェンイン)
編集=廖慶松(リャオ・チンソン)
出演=高捷(ガオ・ジェ)、伊能静、林強(リン・チャン)、徐貴櫻(シュウ・クィイン)
 
[ストーリー]
 侯孝賢監督が<台湾現代史3部作>を撮り終えた後、現代の台湾人の人間像を描く意欲作。前半はヤクザを稼業とするガオ(高捷)と彼を取巻く人々のエピソードを綴っていく。後半はガオとその子分ピィエン(林強)、ピィエンの恋人マーホァ(伊能静)の3人が、ピィエンの叔父に不当に騙し取られた遺産の相続分を取り戻すため台南に向い、そこで引き起こす騒動が描かれる。
 
[コメント]
 これまでの侯孝賢監督作品のイメ−ジは、日本家屋を背景として人物像が腰を据えて描かれ、そこに台湾の田舎の情景が心にしみこんでくるといったものであったと思う。前作「好男好女」の現代のシーンにも作風の変化が垣間見られたが、本作ではそれがさらに徹底されている。過剰なまでにざわめく現代の都市のノイズ。ジワジワ観客の心理を揺さぶるノイジーな音楽。引きもせず近づきもしない人物と不安定な距離を保ち続けるキャメ ラ。ラストシーンの余韻なども、まるで北野武監督作品を観ているようにじわりと観客にのしかかってくる。候孝賢監督は、東京国際映画祭のティーチ・インでこの作風の変化について、「もう台湾にはあのような田舎の風景は残っていないから」と答えていたが、本作を観る限りもっと並々ならぬ決意を感じる。国際的に評価を受けた今までのスタイルをかなぐり捨てて新たな世界を切り開かなければ、未来への展望が開けないとの思いがあったのではないだろうか。50歳を目前にして今までのスタイルを捨てるのは大変勇気がいることだと思うが、これまで比較されることのあった小律安二郎監督が50歳で集大成と言える『東京物語』を撮り、以後それまでの映画のリメイクに近い作品に終始してしまったことと重ね合わせて考えると、これはまさに英断であると賞賛されるぺきだ。ともかく一刻も目を離せないない、粉れもなく世界をリードする監督である。(淳)