日本映画をどうするのか’96

12月1日 「日本映画をどうするのか’96」 (やまばとホール)

岸和田少年愚連隊
1996年/松竹、吉本興行/1時間47分
 
監督=井筒和幸
原作=中場利一
脚本=鄭義信、我妻正義
撮影=浜田毅
美術=細石照冊美
編集=冨田功
出演=矢部浩之、岡村隆史、大河内奈々子、秋野暢子
 
[ストーリー]
 中場利一の同名小説を元に、70年代の大阪・岸和田を舞台に喧嘩に明け暮れる悪ガキ中学生どもの姿を生き生きと描く。チュンバ(矢部)、小鉄(岡村)をはじめとする悪たれグループは、ことあるごとに他枚の中学のけんか仇と乱闘やいたずらを繰り返していた。問題を起こしては裁判所に行くチュンバと母親(秋野)。だが、母親の迫真の演技で鑑別所送りだけはいつも免れていた。そんなチュンバだが、東京からやってきたリョーコ(大河内)という彼女がいた。リョーコは、チュンバの無茶苦茶な行動にあきれながらも彼のことがいつも気になっていた……。
 
[コメント]
 ラストシーンで、鑑別所行きになるであろうチュンバを乗せたバスにアツカンベーをして背を向けた後、フッと振り返るリョーコ。母親を思わせるその表情に胸のすく思いがした。 この映画に出てくるワルガキは、敵味方関係なく無茶苦茶乱暴で粗野だけど、実直でドアホで実にチャーミングだ。それをくっきり浮かび上がらせているのが、母性愛溢れるワルガキ共に寄り添うたち<彼女>たちだ。同時期(70年代なかば)に自分も中学生だったが、ワルガキとは程遠く、どちらかと言えば「何であんなツッパリがマブイ<彼女>を連れてんだ」と、やっかんでるほうだった。だけど、このラストシーンを観て、なんで彼女たちがワルガキ共に惹かれるのかわかったような気がして、「ゲット・イット・イン」の軽快なリズムにのりながら解放感を満喫した。同じワルガキを描いた『キッズ・リターン』も時代設定は過去だが、その時代性が明確になっていないことをはじめ、同じ題材を扱っていても喧嘩そのものが縦横無尽に展開する本作と、人生の挫折と壁を厳しく突きつける後者の作品は一見似ているようで全く性質が異なる。ただ一点、男にとって最後の救いになるのは、母性愛に似た恋愛感情だけだという点を除けば。 (淳)

絵の中のぼくの村
1996年/シグロ/1時間52分
 
監督・脚本=東陽一
原作=田島征三
脚本=中島丈博
撮影=清水良雄
音楽=カテリーナ古楽合奏団
美術=内藤昭
出演=松山慶吾、松山翔吾、原田美枝子、長塚京三
 
[ストーリー]
 高知の田舎で少年時代を過ごした征三(慶吾)と征彦(翔吾)。双子である二人は優しい母(原田)、厳格な父(長塚)、しっかり者の姉に囲まれて自由奔放な毎日を送る。皆から煙たがられている転枚生センジや裸足で学枚に通っている貧しい少女ハツミも二人にとっては意味のある存在だ。釣りや絵かきに興じたかと思えば田畑を荒らし、時には本気で兄弟喧嘩をすることも。気持ちで動く二人の行動は人の誤解をよく招く。何よりも当の本人たちが、もう一人の自分との間にある目にみえない何かを持て余しているのだった。
 
[コメント]
 子供の頃の思い出が鮮明に残っているというのはいいもんだと思う。あの頃は良かったなあ、などと感傷に走ってしまったら格好悪いけど。この映画に出てくる双子の兄弟は、子供の頃にしかできないようなことを気持ちいいくらいにやってみせてくれる。こんな子供時代を過ごせたら、きっと未練を覚えることなく大人になることができるだろう。いい年こいて田畑を荒らしたり、他人の靴を遠くへ放り投げたりなんてできないからねえ。好奇心と想像力で無形のものに心を与え、それを楽しみ、あるいは怖がる。そんなドキドキした日々を自ら作り出す心の豊かさがとても魅力的。双子であることをいいことに教師をだまくらかす悪知恵ぶりも微笑ましい。そんな、知恵を駆使しての悪さもあれば、ちょっとした気持ちの高ぶりが引き起こす悪さもある。怒られてシュンとしても次の瞬間にはまた何か新しいものに心奪われている。本当に生き生きとして自由奔放で本人たちの心の動きが観てるこっちにも伝わってくる。このドキドキが映画を通してだけでなく、実生活でも得られたら素晴らしい。そのほうが生きてて楽しいと思えるからさ。 (山)

キッズ・リターン
KIDS RETURN
1996年/オフィス北野、パンダイビジュアル/1時間48分
 
監督・脚本・編集=北野武
撮影=柳島克巳
音楽=久石譲
美術=磯田典宏
編集=太田義則
出演=金子賢、安藤政信、森本レオ、丘みつ子
 
[ストーリー]
 懐かしい顔をシンジ(安藤)は見つけた。高校時代の同級生マサル(金子)だ。シンジは自転車の荷台にマサルを乗せ走り出す。あの頃のように……。18歳の秋、マサルはシンジとつるんで楽しくやっていた。カツアゲした金で喫茶店に通い、学枚へ向かえば教師・同級生を茶化す、とやりたい放題の日々……そんなふたりは、担任(森本)の目には<落ちこぼれ>としか映らない。そんなある日、カツアゲた高枚生の助っ人にKOされたマサルはボクシングに目覚め、シンジもなりゆきでジムに入門する。ふたりの生活にも変化が訪れ始めた。
 
[コメント]
 長く険しい人生の葛藤の中で、かけがえのないほんの一瞬の“輝き”を切りとった、そんな作品だ。北野武監督の6作目は二人乗りの自転車と久石譲の(印象的な)音楽で軽快にすべり出す。過去の作品に比べ非常にとっつき易い仕上がりなのだが、心の奥にザラザラしたものが残るのは何故だろう……。学生の頃、当たり前のように学校へ通い何気なく一日が過ぎて行く。誰にもそんな変哲のない日々が永遠に続いて行くような感覚を抱いていた時期があったに違いない。思い付き行動のマサルの後をシンジは決まり切った様に付いて行く……二人もまたそんな日常を生きている。時間は経ち、勝手きままな生活から、ヤクザ、ボクサーとしてのシビアな世界へと、映像の訴える重さが、密度が、映画の進行時間に比例するが如く増して行く……。終盤、再会した二人は言葉を交わす。「俺たちもう終わっちゃったのかなぁ」「まだ始まっちゃいねぇよ」一見、明るく希望に満ちた笑顔にみえる。しかし、その裏側にどうしようもない絶望感を感じずにはいられない。 (学)

Shall weダンス?
1996年/東宝/2時間16分
 
監督・原作・脚本=周防正行
撮影=栢野直樹
音楽=周防義和
美術=部谷京子
編集=菊池純一
出演=役所広司、草刈民代、竹中直人、渡辺えり子
 
[ストーリー]
 『ファンシイダンス』、『シコふんじゃった。」で、個性的な若者たちの青春をエンターティンメントに仕立てた周防正行監督が、次に目をつけたのは社交ダンス。役所広司演じる中年サラリーマンが、駅のホームから見上げた窓はダンス教室、そして愁い顔で窓にもたれるヒロインがいて……。ダンス教師役の草刈民代のクールビューティと華麗なダンスシーンが、サラリーマンの「中年の恋」に爽やかな印象を与える。ラテン命のコテコテダンスを披露する竹中直人や、重い肉体をギンギラな衣装に包んで中年女性の滑稽さと悲哀を体現する渡辺えり子など脇役陣もにぎやかに、社交ダンスの知られざる楽しさを伝えてくれる。そして主人公の中だるみ人生にも、新しい風を吹き込むのである。
 
[コメント]
 何かに夢中になるって、傍から見ると滑稽なことなんですよね、社交ダンスに限らず。「私〇〇が大好きなんです」って口に出すのは、自分の弱みをさらけ出しちゃうことでもあるわけで。だから、やたらに誰にでも打ち明けたりはしないでしょ。でも、夢中になれる<何か>を持っている人は魅力的です。輝いています。弱みでもあると同時に、強みでもあるんですよね。そして、とても可愛いと思う。男でも女でもどこかに可愛げのある人が私は好きです。ようしっ! 私もジャズダンスでも始めようかな、と渡辺えり子さんに勇気づけられて思ったのでした。(でも、まだ思案中) 何? 「悪いことは言わないからやめろ」ですって。ご意見は参考にさせていただくとして、何かに夢中になって楽しく人生を重ねていきたいと思うこのごろなのです。とにかく、心からハッピーに笑える映画です。役所・草刈の爽やかな味と、竹中・渡辺のこってり味との絶妙なブレンドをどうぞ召し上がれ。 (刈)