VIVA!! 映画誕生100年 日本映画回顧 PART1

11月24日 「VIVA!! 映画誕生100年 日本映画回顧 PART1」 (やまばとホール)

麦秋
1951年/松竹/2時間5分
 
監督・脚本=小津安二郎
脚色=野田高悟
撮影=厚田雄春
音薬=伊藤宣ニ
美術=浜田辰雄
出演=原節子、笠智衆、淡島千景、杉村春子、三宅邦子、菅井一郎、東山千栄子
 
[ストーリー]
 舞台は北鎌倉。主人の間宮康一(笠)は東京の病院に務める医師。家族は妻(三宅)と妹の紀子(原)と老父母(菅井、東山)、そして小学生の息子とその弟という構成。28歳になる紀子に、勤務先の専務から縁談の話がある。相手が四十を過ぎた男ということで家庭内でひと波乱。近所に住む間宮の後輩の謙吉は、2年前に妻と死別。子どもと母のたみ(杉村)と生活している。この謙吉が秋田の病院の内科部長に招かれることになり、たみは紀子に、「あなたのような方が嫁にきてくれたらどんなにいいだろう」と愚痴をこぽすと、紀子は「わたしでよかったら」と答える。その話を聞いた間宮家は一同唖然としてしまう…。
 
[コメント]
 昭和26年というと戦後の混乱期から抜け切れていない時期、中流家庭といえども、それほど余裕が生まれていないころの話。リビングとかDKという生活様式が入ってくる前の生活が描き出される。確かにそうだったなとうなずくエピソードの積み重ねのなかで、物語が作られていく。婚期の遅れた娘の幸福を願う両親、そして兄の笠智衆のいらだち、心配、そういったものが、寄せ木細工のようなエピソード積み重ねのなかにじわりと滲み出してくる。特に子供たちの扱いがとても面白い。「生まれてはみたけれど」の子供の延長線上のような子供たちの描き方が、静かな物語のなかに大きなアクセントをつけている。耳の遠い伯父の扱い、軽妙な笑いが描かれるなかで、静かに自己主張を貫く原節子の姿に新しい女のあり方をみたのだろうか。ラストの麦畑のなかを花嫁行列が、静かに横切つていくのを眺める老夫婦の姿に、人生の別れをしみじみと味わう。40数年前に作られたということをまったく感じさせない、観る者をいつのまにか感動させる作品である。 (水)

青春残酷物語
1960年/松竹/1時間36分
 
監督・脚本=大島渚
撮影=川又昂
音楽=真鍋理一郎
美術=宇野耕司
出演=桑野みゆき、川津祐介、久我美子、溝辺文雄
 
[ストーリー]
 日本が敗戦の惨めさから立ち直り奇跡的な復興を遂げていた頃。不良学生の藤井清(川津)は夜の街を緋徊していた。ある時清は、中年の男にからまれていた少女・新庄真琴(桑野)を助ける。港の材木場で、清は真琴を突き落として溺れさせ、犯す。その後二人は戦後の争乱の中に揺れる街を行くあてもなく、さまよっていた。真琴を使つて、美人局で金を稼ぐ清。やがて真琴が妊娠していたことがわかり、清はまた同じ手口で堕胎の費用を稼ごうとするが、真琴はそれを拒否する。真琴の姉とその恋人の医師からの忠告に対してもかたくなに、自分の怒りをあらわにして清はまた、夜の街をさまよい歩く……。
 
[コメント]
 「愛と希望の街」でデビューした若き大島渚監督の第2作目で、「松竹ヌーヴェル・ヴァーグ」と呼ばれるブームを巻き起こした作品。大島渚監督を「朝まで生テレビ」や「ボキャブラ天国」での特異なキャラクターとしてしか知りえない世代にこそ、是非観てもらいたい作品である。この頃はまだ映画が時代と共に歩いていて、その先頭を走つていたのが大島渚監督だったのだ。とにかくこの作品の若者たちは怒りに満ちた表情をしている。大島作品の根底に流れている「怒り」の表現が、監督自身の若いエネルギーと相まってストレートに伝わってくる。その後、大島渚監督はATGによる一千万円映画を実現させる一方、外国との合作による大作映画を製作と、まさに時代の先頭を走り続けてきた。「マックス・モン・アムール」以後新作を撮る機会になかなか巡り会えず、一度は坂本龍一主演「ハリウッド・ゼン」を計画するもなかなか実現しないのが残念至極だ。 (嶋)

また逢う日まで
1950年/東宝/1時間49分
 
監督=今井正
脚本=水木洋子、八住利雄
撮影=中尾駿一郎
音楽=大木正夫
美術=河東安英
出演=岡田英次、久我美子、滝沢修、河野秋武
 
[ストーリー]
 三郎(岡田)と蛍子(久我)が初めて逢ったのは、空襲警報の地下鉄のホームであった。もみ合う人の中で、二人の指がふれ合った。それは同時に美しい青春のふれ会いとなつた。三郎は法務官の息子、すでに母はいなかった。兄二郎は陸軍中尉。長男の一郎は戦死、その妻は召使いのようにおどおどと同居していた。蛍子は先生のアトリエに留守番として住んでいた。三郎にとって蛍子と会うひとときだけが幸福な時間であった。ついに赤紙が三郎にきた。「最後に逢う日、三郎は姉急病のため蛍子と約束の場所へ行けなかつた。その場所で蛍子は爆弾によつて一命を失つていた。昭和20年、今は亡き三郎の肖像画は黒い布でつつまれ戦いの終りは告げられた。
 
[コメント]
 「また逢う日まで」はロマン・ロランの小説「ピエールとリユイス」を翻案した水木洋子のシナリオから今井正が監督した。空襲の絶えない第二次大戦末期を舞台に、愛情一すじに生きた若ものの恋愛の美しさを描いて、背後に戦争の非人間性を鋭く訴えたこの映画は今井正の力作である。当時戦争を批判する映画はずいぶん作られたが、概して観念的で評判はよくなかった。この作品に至ってようやく「戦争を憎む気持ちをこれほどまでに起こさせる日本映画はなかった」と評論家に言わせた。シナリオを書いた水木洋子は、このあと、今井監督の主要な作品の多くを執筆した。その温かくヒューマンな人間観察に裏付けられた堅実で豊かなふくらみのある作風は監督に最良の作品を生み出させた。主演の岡田英次は新劇出身・戦中派で、この力演によつて認められた。久我美子は「四つの恋の物語」でデビューした東宝の新人、彼女もこの主役で演技派スターの第一線に進出した。恋人たちのガラスごしの接吻は今日の若者には不自然と見えるかもしれないが、当時、映画史に残る名場面としてファンの語り草となったものであり、その熱っぽい情感をさえぎるガラスの感触の冷たさは、そのまま、戦争中の知的な著書の燃え上がることを禁じられた精神主義のシンボルでもあった。 (米)