オープニング企画:フォーラム推薦作品

11月18日 「オープニング企画:フォーラム推薦作品」 (やまばとホール)

ピアノ・レッスン
THE PIANO
1993年/オーストラリア/CIBY2000、ジェーン・チャップマン・プロダクション/フランス映画社配給/2時間1分
 
監督・脚本=ジェーン・カンピオン
撮影=スチュアート・ドライバラ
音楽=マイケル・ナイマン
美術=アンドリュー・マッカルパイン
出演=ホリー・ハンター、ハーヴェイ・カイテル、サム・ニール
 
[ストーリー]
 19世紀なかば、エイダ(H・ハンター)は9歳の娘フロラを連れて、父親がみつけた結婚相手スチュアート(S・ニール)に嫁ぐために、スコットランドからニュージーランドの孤島にやってくる。口のきけないエイダの言葉の役割を果しているのはピアノだが、スチュアートは重すぎると浜辺に置き去りにする。スチュアートの友人ベインズ(H・カイテル)は自分の土地とピアノを交換し、ベインズの小屋でエイダのピアノレッスンが始まる。エイダのピアノを弾く姿を後ろから見守るベインズ、そのふたりの間に激しい愛の炎が燃え上がる……。
 
[コメント]
 女は性愛に生きるのだ。それまでのピアノレッスンが愛に変わった時、ひたすら一直線に進む。自分の心に体に忠実に、子供すら必要でなくなる。子供の嫉妬、愛を刻んだ鍵盤を父親に届ける子供の残酷さ。これは女性の心をよく知りつくした女性監督ならではの作品だとつくづく思う。窓辺で、置き去りにされたピアノに思いを馳せる主人公。ピアノと再会し、浜辺で母親のピアノにあわせてダンスする娘、傍らで、それを見守る男(ベインズ)のシーン。沈められたピアノから浮上していくラストの海中シーン等、映像が美しく、マイケル・ナイマンの音楽が静かに心にしみわたる。天使の羽をつけて走り回る娘が愛らしく、その演技も素晴らしい。静かな映像の中に、愛の激しさ、男の嫉妬、奪うこと、与えること、許すことが描かれ、極めて明確な表現に、西欧のものを感じる。 (浅)

全身小説家
1994年/疾走プロダクション/2時間37分
 
製作=小林佐智子
監督・撮影=原一男
音楽=関口孝
録音=栗林豊彦
編集=鍋島惇
出演=井上光晴、埴谷雄高、瀬戸内寂聴、井上郁子
 
[ストーリー]
 戦後社会を根源的に問い、反社会性を告発し続けた作家・井上光晴氏を、原一男監督が5年もの歳月をかけて迫ったドキュメンタリー。
 89年、井上光晴氏がS字結腸癌の手術を受けた後から撮影は始まる。術後の経過は良好で、井上光晴氏は文学伝習所での講義や講演をエネルギッシュにこなしていく。しかし、次々と癌の転移が認められ、抗ガン剤治療などを受けつつ癌に立ち向かうが、92年4月、井上光晴氏は他界する。映画では彼の死後、井上氏の自作年譜を調べていくうちにそれが虚構に彩られていたものだったことが明らかになっていく。
 
[コメント]
 子供の頃、誰でも「嘘はついてはいけません、正直に生きなさい」と教えられる。それが大人になるにつれ、ついても許される嘘があることを知る。自分の中で作りこんでしまう美しい想い出もそのひとつだろう。この映画の中で井上光晴氏がついている嘘はそれに類するものであり、周りの人間を幸せにすることはあっても、決して観ているものに不快感を与えるものではない。それところか、偽りの自作年譜を作ってまで戦後文学の第1人者を全身で演じ切ったひとりの小説家にスケールの大きい魅力を感じる。癌に対してもひるむことなく、真っ向から仕事に挑むことで乗り越えようとし、結局運命を変えることはできなかったが、フィルムに焼き付けられたその生き様は観るものの胸をうつ。
 最近、気弱になっているなと感じると、井上光晴氏の大きな声を思い返すようにしている。「やりたいことは全部やらなきゃだめなんです。それは不倫でもなんでもいい、とにかくやり抜きなさい!」……と。 (淳)