TAMA NEW WAVE ある視点 Vol.1

11月22日 「ドキュメンタリー・セミドキュメンタリー篇」 (ベルブホール)

●Time Table●
16:30−17:45
18:00−19:17
19:30−20:33
蝶よ花よ
アヒルの子
URINARA

蝶よ花よ
2006年/DV/1時間15分
 
監督・脚本・撮影=鷺谷一朗
監督・脚本・音楽=HISA
撮影・音楽=時川大輔
撮影=辻克己
出演=太田黒実佳、太田黒宙也、久ヶ枝雫、久ヶ枝凛花、野口妙、渡辺学
 
蝶よ花よ
 
[作品紹介]
 山村の小さな小学校に、部員4人のミュージカルクラブがあった。2学期の本番に向けて練習を重ねる実佳・宙也・雫・凛花。ところが、ある日突然、宙也がクラブをやめると言い出し……。こんなさよなら納得できない。夏休み、こどもたちの小さな冒険がはじまる。——劇団天然木が、横糸に現実、縦糸にフィクションを織って作った関ドキュメンタリー作品です。
 
鷺谷 一朗(さぎや いちろう)監督

 1969年生まれ、埼玉県出身。
 
HISA(ひさ)監督

 1963年生まれ、熊本県出身。

 熊本、劇団天然木メンバー。1996年結成以後一貫してこどもの演じる創作ミュージカルを発表してきた。鷺谷は美術、HISAは音楽と台本を担当している。『蝶よ花よ』は初の映像作品で、監督・脚本を共同で行った。
 
[メッセージ]
 こどもたちのありのままの美しさを大切にするよう心がけました。物語の背景や登場人物の設定を、現実に限りなく近くすることでリアルな表情を撮るようにし、またそれでいて、こどもたちが虚構と現実を自由に行き来する様子に、ドキュメントには出せない夢のような世界を作れたのではないかと思っています。やさしいピアノの音とこどもたちの澄んだ歌声が印象的な天然木のオリジナルサウンドもお楽しみいただければと思います。

アヒルの子
2005年/DVCAM/1時間17分
 
監督=小野さやか
制作・編集=大澤一生
撮影=山内大堂
録音=伊藤梢
 
アヒルの子
 
[作品紹介]
 自分は価値がない、誰にも愛されていない、生きる意味がない……。小野さやかは、自らの内面に巣食う生きがたさに悶え苦しんでいた。その原因は、彼女が5歳のときにある施設に1年間預けられたことから端を発する。家族から「捨てられた」と思い、2度と捨てられないために「いい子」を演じてきた彼女は自らを解放するため、自分の内面を縛り付けている「家族」を壊す決意をした……。
 
小野 さやか(おの さやか)監督

 1984年生まれ、愛媛県出身。高校卒業後、日本映画学校に入学。2年次から映像ジャーナルゼミに所属し、ドキュメンタリーの制作を学ぶ。本作品は同校卒業制作作品として制作された。現在は、本作品の上映に向けて、制作日誌を執筆中。
 
[メッセージ]
 上映される度、作品が引き合わせる出会いに驚きます。完成まで幾多の困難はありましたが、上映する意義を感じています。この作品のテーマでもある家族の問題はたくさんの人が抱えているのではないでしょうか。映画で表現するしかなかったたくさんの思いが作品にはつまっていて、痛々しくて眼を背けたくなる不器用さは時に観る側を不快にさせるかもしれません。でも、それでいいんだと思います。何か感じていただければ幸いです。

URINARA 〜母のまなざし 息子の声〜
2006年/DV/1時間3分
 
監督=河真鮮(ハ チンソン)
制作=小野寺修平、黒部俊介
撮影=岡公介、斉藤慎二郎
編集=成瀬慧、遠山慎二
音楽=佐々木敬
出演=安祐祥(アン ユウサン)
 
URINARA
 
[作品紹介]
 河監督の息子、安(18)は、7年前に韓国から日本に移り住み、日本の文化に親しみ、日本人の友達と遊び、日本人として育ってきた。1年前、彼が高校3年生のとき、韓国政府から突然、徴兵の知らせが届いた。日本の若者と同じ感性を持つ17歳の少年が、突然軍隊に行くことになる……。
 そうした境遇に置かれ、初めて出てきた問いがあった。軍隊とは何か、祖国とは何か。
 困惑する周囲の人たちをよそに、兵役という現実を冷静に見つめる現代の若者の実像を追った。
 
河 真鮮(ハ チンソン)監督

 1963年生まれ、韓国人。ソウルの漢陽大学卒業後、97年に来日。その5年後に日本の永住権を取得。2003年、日本映画学校 映像科に入学。04年、キネマ旬報に応募したシナリオが入選し、韓国の全州国際映画祭に日本側からの立場として招待されて参加。同年、邦画『幸せなら手をたたこう』でラインプロデューサーを務める。05年、日本映画学校の協力を得て『URINARA』の製作を開始し、06年5月に完成させた。
 
[メッセージ]
 私の息子は、小学校5年生のときに来日し、日本の教育を受けて育ちました。
 ある日、その息子が兵役対象者になったことを知りました。
 私は韓国人ですが、女性であり兵役の経験もないので、その状況をどう受け止め、どう息子に説明すればいいのかわかりませんでした。大切な息子のために、何もしてあげることができない自分が惨めになりました。解決するためにはどうしたらいいのか……あれこれ考えるよりも、この心配と悩みをありのままに記録していけば、何か糸口が見つかるかもしれない。そう思って、カメラを回し始めました。