監督 小津安二郎 - Vol. 2 -

11月24日 「監督 小津安二郎 - Vol. 2 -」 (やまばとホール)

●Time Table●
13:00−15:03
15:20−17:36
彼岸花
東京物語

彼岸花
1958年/松竹製作・配給/1時間58分
 
監督・脚本=小津安二郎
原作=里見じゅん
脚本=野田高梧
撮影=厚田雄春
音楽=斉藤高順
出演=佐分利信、田中絹代、有馬稲子、久我美子、佐田啓二、山本富士子
 
彼岸花
 
[ストーリー]
 平山(佐分利)は、娘(有馬)の縁談を進めようとした矢先に娘に恋人がいるのを知って驚く。釈然としない平山は、結婚は許すが式には出ないと言い張る。自分の娘のこととなると冷静になれない平山だが妻(田中)の説得にあい、しぶしぶ結婚を認めて式を迎えることになる。
 
[コメント]
 娘が勝手に決めてきた結婚相手に腹を立てる頑固な父親の姿をユーモラスに描く、小津安二郎監督初めてのカラー作品。小津監督の言によれば、大映から招いた看板女優、山本富士子を活かした明るい映画にしたいという会社の方針もあって、色彩映画に手をつけたそうである。小道具や着物ひとつひとつに気を配り、赤が映えるアグファ・カラーをネガフィルムに用いて、色をはぶき、色があって色がないような、つまりは「色即是空、空即是色」の心持で撮影に臨んだと語っている。ドラマチックな展開を極力排除し、さりげない会話のやりとりの中に人間のエゴを垣間見せるこの監督特有の手法が、あでやかな色彩とともに、見るものの心に染み込んでくる。母娘を演じた浪花千栄子と山本富士子による京都弁の掛け合いもまた愉しい。里見?は小津監督の敬愛する小説家で、原作は小津監督の映画化を予定して書き下ろされたものである。 (竹)

東京物語
1953年/松竹製作・配給/2時間16分
 
監督・脚本=小津安二郎
脚本=野田高梧
撮影=厚田雄春
音楽=斉藤高順
出演=笠智衆、東山千栄子、原節子、杉村春子、山村總
 
東京物語
 
[ストーリー]
 尾道に住む平山周吉(笠)、とみ(東山)の老夫婦が子どもたちを訪ねようと上京するが、医者の長男(山村)や美容師の長女(杉村)ははじめこそ歓迎するが、やがて仕事が忙しいと熱海へと厄介払いをする。だが、熱海旅行は疲れるだけ……。この二人に終始親切に接してくれたのは死んだ次男の嫁(原)であった。尾道に帰る途中体調を崩したとみは、戻って間もなく急逝する。
 
[コメント]
 この作品を作るにあたって、小津監督は「親と子の成長を通じて、日本の家族制度がどう崩壊するか描きたかった」と語っている。終戦から8年しか経ていない当時、まだ〈高度経済成長〉や〈核家族〉といった表現がなされていない頃の作品である。独立した子供たちを訪れる老夫婦とそれをあまり歓迎できない子供たちの姿を通して、家族の姿を繊細にそしてシビアな視点で描き出したこの作品は小津監督の最高傑作と位置づける人も多い。戦後変わりつつある家族の関係をテーマに人間の生と死までをも見つめた深遠なドラマは4年後にロンドンの国立映画劇場で上映された各国の映画の中で年間ベストワンに選ばれ、世界の小津ブームのきっかけとなった。「キネマ旬報」ベストテン第2位。

●プロフィール
小津 安二郎(おづ やすじろう)

 1903年、東京・深川の生まれ。9歳の時に父の仕事の関係で三重県松坂市に転居する。大学受験に失敗後、山村の小学校で1年間代用教員を務めたが、翌年の19歳の時に単身上京。叔父のよしみもあり、松竹キネマ蒲田撮影所に撮影助手として入社する。27年、『懺悔の刃』で監督デビュー。以降『生まれてはみたけれど』、『父ありき』など優れた作品を発表する。戦後は脚本家・野田高梧と組み、『晩春』、『麦秋』、『東京物語』といった名作を次々に発表。独特のローアングルのカメラワークと普遍的な家族の肖像を描いた作風は海外でも高い評価を受け、世界の小津としてヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュなど多くの作家にも影響を与えた。1963年12月12日の誕生日に逝去。享年60歳。