日本映画どうするのか‘03

11月23日 「日本映画どうするのか‘03」 (やまばとホール)

●Time Table●
10:30−12:40
13:15−15:21
16:40−18:32
18:35−19:20
黄泉がえり
スパイ・ゾルゲ
ゲロッパ!
トーク
 井筒和幸監督、聞き手:高田文夫氏(放送作家)

黄泉がえり
2003年/『黄泉がえり』製作委員会(TBS、電通、東宝、アイ・エム・ジェイ、毎日新聞、カルチュア・パブリッシャーズ、日本出版販売、IMAGICA、ツインズジャパン、WOWOW)/東宝配給/2時間5分
 
監督・脚本=塩田明彦
原作=梶尾真治
脚本=犬童一心、斉藤ひろし
撮影=喜久村徳章
美術=新田隆之
音楽=千住明
編集=菊地純一
出演=草なぎ剛、竹内結子、石田ゆり子、哀川翔、山本圭壱、伊藤美咲、田中邦衛
 
[ストーリー]
 九州の阿蘇のとある地域で、ある日突然死者が生前の姿のままで蘇る(黄泉がえる)という現象が次々と起こる。何事もなかったように、人々の前に現れる最愛の夫、妻、恋人、友人、我が子。願い続けた再会を喜ぶ家族と戸惑う周囲。厚生労働省に勤務する川田平太(草なぎ)は、生まれ故郷で起きたこの奇妙な事件の真相を探るべく、調査に乗り出す。死んだ親友・俊介のフィァンセ・橘葵(竹内)と再会する平太。彼女もまた、最愛の俊介が自分のもとに“黄泉がえ”ってくれることを願っていた。やがて二人は人を黄泉がえらせるためのある法則を見つけだす。
 
[コメント]
 今年は泣かされる映画が多かった……。そして『黄泉がえり』も純粋に泣きました。この映画のすごいところは主人公平太(草なぎ)と葵(竹内)の話を軸として、黄泉がえりにおけるさまざまな人のエピソードを織り交ぜて描いているところにある。多様なエピソードを盛り込むとどれも中途半端になってしまうことが多いが、じっくり心情が描かれて群像劇として成立しており、より一層感情移入してしまう。さすが『害虫』の塩田監督。「ファンタジーであっても現実と緊張感のなかで描きたい。」と塩田監督はコメントしていたが、なるほどと納得である。『黄泉がえり』はただのファンタジーでは終わっていない。その過程が現実味帯びているからこそせつなく、そしてラストに感動するのだ。この映画のキャッチフレーズ“あなたにとって、黄泉がえって欲しい人は誰ですか?”の答えを胸に観て欲しい作品である。 (浜)

スパイ・ゾルゲ
2003年/『スパイ・ゾルゲ』製作委員会(表現社、アスミック・エースエンタテイメント、東宝、セガ、日本情報通信コンサルティング、オービック、IMAGICA、カルチュア・パブリッシャーズ、テレビ朝日、サミー、フィールズ)/東宝配給/3時間2分
 
製作・監督・脚本=篠田正浩
脚本=ロバート・マンディ
撮影=鈴木達夫
美術=及川一
音楽=池辺晋一郎
出演=イアン・グレン、本木雅弘、椎名桔平、上川隆也、永澤俊矢、葉月里緒菜、小雪、夏川結衣、岩下志麻
 
スパイ・ゾルゲ
 
[ストーリー]
 1930年代。朝日新聞の記者として上海で暮らしていた尾崎秀実(本木)は、友人のジャーナリストを通じ、ひとりの男と出会う。それが、リヒャルト・ゾルゲ(I・グレン)。ドイツ人ジャーナリストのゾルゲは、不安定なアジア情勢をロシアへ報告するスパイ。その後日本へ戻った尾崎だが、ゾルゲもまた、極東でのドイツの動きを探るため日本へ派遣される。やがて2人は、世界平和という理想のため、自らの人生を犠牲にして危険な諜報活動へと身を投じていく……。
 
[コメント]
 1930年代、激動する世界情勢のなかで、数々の決断を迫られた昭和日本の姿は「紛れもない事実」である。そして、登場人物たちの「そのとき」の心理的葛藤と行動、そして重大な決断は歴史上の真実であり、それは平成日本へとつながる道となった。観客はこの映画で描かれるゾルゲの行動、尾崎の決断、日本を動かした政界上層部の思考、そしてルーズベルトとスターリンの判断を、今日迷走を続ける日本人の姿と重ね合わせるだろう。そして「人間としての生き方」「人生選択の判断」のヒントを導き出すかもしれない。そして遂には「日本人とは何か」を再発見することになるかもしれない。映画『スパイ・ゾルゲ』が描き出す昭和と、そこに生きた人々の姿が平成日本を生きる観客の知的好奇心を刺激する。 (石カ)

ゲロッパ!
2003年/シネカノン企画・制作・配給/1時間52分
 
監督・脚本=井筒和幸
脚本=羽原大介
撮影=山本英夫
美術=大坂和美、須坂文昭
音楽=高宮永徹
編集=冨田伸子
出演=西田敏行、常盤貴子、山本太郎、岸辺一徳、藤山直美、太田琴音、桐谷健太、益岡徹
 
ゲロッパ!
 
[ストーリー]
 収監を数日後に控えた羽原組組長・羽原大介(西田)には、やり残してしまったことが2つある。ひとつは25年前に生き別れてしまった娘・かおり(常盤)に再会すること。もうひとつは、大好きなジェームス・ブラウンの名古屋公演に行くこと! 弟分の金山組組長・金山(岸部)はある決心を固め子分の太郎(山本)たちにとんでもない命令を下す。「いますぐジェームス・ブラウン、さらいに行って来い!!」 果たしてJBの誘拐は成功するのだろうか!?
 
[コメント]
 『ゲロッパ』とは……ソウルの帝王“JB”ことジェームス・ブラウンの名曲「セックス・マシーン」の歌詞“Get up!”のこと。このタイトルがあらわすようにR&B、ソウルミュージックがふんだんにおりこまれた、楽しくファンキーな映画だ。井筒監督の“エンターテイメント魂”のようなものがあふれている。何も考えずにただ大笑いして楽しむことが出来る。だがふと気がつくと、親子の絆とは? 本当の芸人魂とは? などの問いかけについて考えさせられている。やられた! という感じだ。羽原組組長・羽原大介に扮した西田敏行がイイ。人懐っこい笑顔でいつも私たちを楽しませてくれるが、今回はそれだけでは終わらない。なにせ、やくざの親分だ。危ないことやイケナイことも行っている、そんな部分をにおわせるのがうまい。西田だけではなくこの映画の出演者全員のなかに「芸人魂」を見た。 (石カ)

●プロフィール
塩田 明彦(しおた あきひこ)監督

 1961年9月11日、京都府舞鶴市生まれ。立教大学在学中より黒沢清監督らと自主映画の製作を始める。83年『ファララ』で「ぴあフィルムフェスティバル」に入選。その後、故・大和屋竺のもとで脚本を学び、91年脚本家として独立。96年にはビデオ映画『露出狂の女』を監督。

 <主な作品>
 ・月光の囁き(1999)
 ・どこまでもいこう(1999)
 ・害虫(2002)
 ・黄泉がえり(2002)
 
篠田 正浩(しのだ まさひろ)監督

 1931年3月9日、岐阜県生まれ。早大卒業後の53年に助監督として松竹入社。60年『恋の片道切符』で監督デビュー。65年松竹退社。67年に独立プロの表現社を設立。69年『心中天網島』はベネチア映画祭などに出品。72年に札幌冬季五輪の記録映画を監督。79年に坂東玉三郎の映画初挑戦『夜叉ヶ池』など話題作を手がける。90年『少年時代』と95年『写楽』はそれぞれ日刊スポーツ映画大賞作品賞を受賞。99年の『梟の城』は日刊スポーツ映画大賞石原裕次郎賞を獲得。

 <主な作品>
 ・恋の片道切符(1960)
 ・暗殺(1964)
 ・札幌オリンピック(1972)
 ・夜叉ヶ池(1979)
 ・少年時代(1990)
 ・写楽 Sharaku(1995)
 ・梟の城(1999)
 ・スパイ・ゾルゲ(2003)

●ゲストの紹介
井筒 和幸(いづつ かずゆき)監督

 1952年12月13日、奈良県生まれ。奈良高在学中から映画製作を開始。75年に自主ピンク映画『行く行くマイトガイ・性春の悶々』を製作。81年『ガキ帝国』で監督デビュー、監督協会新人奨励賞を受賞。82年に発足したディレクターズ・カンパニーに所属。83年『みゆき』84年『晴れ、ときどき殺人』85年『二代目はクリスチャン』86年『犬死にせしもの』などを監督。96年『岸和田少年愚連隊』でブルーリボン作品賞。01年からテレビ朝日系深夜番組「虎ノ門」の映画批評コーナーに出演。情報番組のコメンテーターも務め、雑誌、新聞でエッセーも執筆。

 <主な作品>
 ・ガキ帝国(1981)
 ・晴れ、ときどき殺人(1984)
 ・二代目はクリスチャン(1985)
 ・突然炎のごとく(1994)
 ・岸和田少年愚連隊(1996)
 ・のど自慢(1988)
 ・ビッグ・ショー!〜ハワイに唄えば(1999)
 ・ゲロッパ!(2003)
 
聞き手:高田 文夫(たかだ ふみお)氏

 1948年6月25日、東京都生まれ。70年、日本大学芸術学部放送学科卒業。大学卒業と同時に放送作家の道を歩み、数々の歌謡番組、バラエティ番組の構成を手がけつつ、81年「ビートたけしのオールナイトニッポン」がスタート。一躍その名が知られることになる。83年11月立川談志家元の落語立川流に入門し、立川藤志楼として爆笑高座を披露。89年よりニッポン放送「ラジオビバリー昼ズ」のメインパーソナリティを行なっている。放送作家・ラジオパーソナリティ・落語家・企画プロデューサー・作詞家・コラムニストなど活躍の場を多岐に広げている。