アジア映画を旅して

12月1日 「アジア映画を旅して」 (やまばとホール)

●Time Table●
11:00−12:46
13:20−14:49
15:10−17:00
あの子を探して
初恋のきた道
JSA

あの子を探して
一個都不能少
1999年/中国/ソニー・ピクチャーズ配給/1時間46分
 
監督=チャン・イーモウ
脚本=シー・シアンション
撮影=ホウ・ヨン
音楽=サン・パオ
編集=チャイ・ルー
出演=ウェイ・ミンジ、チャン・ホエクー、チャン・ジェンダ
 
あの子を探して
 
[ストーリー]
 中国・河北省の田舎の小学校で、1ヶ月間だけ代用教員を務めることになった少女ミンジ、13歳。
 この土地は貧しく、小学校さえまともに通えない子供がおり、生徒は減る一方。この1ヶ月間、1人の生徒も減らさなければ、報奨金として50元をくれるという約束を信じ、やんちゃな生徒の前に立つ。ミンジを先生とは認めない子供たちは、反発してミンジを困らせる。そんな時、報奨金50元が危うくなるような事件が……。
 
[コメント]
 999年ヴェネチア国際映画祭で、10分以上のスタンディング・オベーション、金獅子賞を獲得したこの作品。チャン・イーモウといえば、絢爛な紅のイメージで、深くからみつくような情念を描いた作品を思い出すが、今回の作品はとても爽やかな、ありのままの子供たちの姿を描いている。
 子供たちは貧しいながらも、明るく、健気に暮らしている。家族のためとあらば、幼い子供でも都会に出稼ぎに行くことは当たり前。ミンジにしたって、初めはたった50元のため、子供たちを教室に閉じ込め、見張りをしているだけという先生ぶりで、その姿は利己的ともとれる。でも、みんなで都会へ行くバス代を稼ぐためには、レンガを何個運べばよいかという話をしているうちに、教室は自然と算数の授業に変わっていく。子供たちの、本当は学びたいんだという気持ちが伝わってくる。
 ミンジやホエクーは、子供の持つ狡猾さ、頑固さ、一途さ、いじらしさを余すところなく表現している。コーラへの憧れ、チョークに対する思いなど、心に染み入るようだった。 (明)

初恋のきた道
我的父親母親
2000年/米・中合作/ソニー・ピクチャーズ配給/1時間28分
 
監督=チャン・イーモウ
脚本=パオ・シー
撮影=ホウ・ヨン
音楽=サン・パオ
美術=ツァオ・ジュウピン
編集=チャイ・ルー
出演=チャン・ツィイー、スン・ホンレイ、チョン・ハオ
 
初恋のきた道
 
[ストーリー]
 都会からやってきた若い教師に恋し、その想いを伝えようとする18歳の少女チャオ・ディ(チャン)。手作りの料理の数々に込めた少女の恋心は、やがて彼のもとへと届く。しかし、時代の波「文革」が押し寄せ二人は離れ離れに。少女は町に続く一本道で、ひたすら愛する彼を待ち続ける。果たして二人の恋の行方は……。
 
[コメント]
 この世の中、やれテレクラだの、メル友だの、出会い系サイトだのと恋愛事情も多様化の時代ですけど、どれもどこか異常で歪んでたりしてると思いませんか?
 この映画で描かれた世界も今や遠い昔の物語なのかもしれません。チャン・ツィイーの彼に対する思いや行動って今なら「ストーカー行為」とか言われますよ、きっと。
 でも人を好きになった時の、あの胸のときめきや動揺、その人のためなら自分を犠牲にしてでも何かしてあげたいという思いは、人間として当たり前のことだし、この気持ちがなくなったら「人間失格」だと思います。愚かで盲目になることも、自分が傷つく勇気もそして相手の思いを受け入れられる度量の深さも恋愛には不可欠な要素。この映画はそんなことを改めて思わせてくれます。
 あとこの映画の特徴、チャン・ツィイーちゃんの顔のアップと走るシーンの異様な多さです。次の世界記録狙えるな(笑)。 (亜)

JSA
共同警備区域JSA
2000年/韓国/シネカノン、アミューズピクチャーズ配給/1時間50分
 
監督=パク・チャヌク
脚本=キム・ヒョンソク、チョン・ソンサン、イ・ムヨン、パク・チャヌク
撮影=キム・ソンボク
出演=ソン・ガンホ、イ・ビョンホン、イ・ヨンエ、キム・テウ、シン・ハギュン
 
JSA[ストーリー]
 朝鮮半島を分断する38度線上の共同警備区域(JSA)で銃撃事件が発生し、北朝鮮軍人2名が殺害される。中立国スイスから派遣された女性将校が取り調べを開始するが、現場に居合わせた北朝鮮軍と韓国軍の生存者の間で証言は食い違う。取り調べに対する彼らの非協力的な態度の裏には、実は当事者だけが知る秘密があった。
 
[コメント]
 非人間的な環境のなかでも愛情を捨てきれない存在として、北朝鮮の特殊部隊員を描いた『シュリ』。この作品の大ヒットから1年、朝鮮半島の情勢の変化も反映してか、『JSA』に登場する北朝鮮の兵士は、より人間味あふれる存在として描かれている。回想シーンで登場する北朝鮮軍人の姿は、一人の人間として我々と何ら変わらないように見える。それ故に、最初にこの映画を観たときには、『シュリ』と比較してドラマとしての起伏が弱いように感じられたのも事実だ。工作員の過酷な訓練シーンもなく、故郷の思い出を語り合う主人公の韓国軍兵士の姿からは、禁じられた相手との交流に対する強い葛藤を読みとることは難しい。
 しかし、ストーリーが現代に引き戻された時、主人公には回想シーンの幸せな光景とかけ離れた苦悩が待ちかまえている。彼がなぜそれほど苦しむのか最初は分かりづらかった。しかし映画を観終えた時、北朝鮮の兵士との友情を信頼していたからこそ、心の闇に潜む不信感に気づいた瞬間に、絶望感を抱かざるを得なかった主人公の心境を痛感させられた。 (長)