アジア発自分探しの旅

11月23日 「アジア発自分探しの旅」 (ベルブホール)

●Time Table●
12:00−13:30
14:10−15:02
15:20−16:59
17:20−18:20
クレイジー・イングリッシュ
あんにょんキムチ
新しい神様
トーク ゲスト:土屋豊監督、雨宮処凛、松江哲明監督
    聞き手:田中千世子氏(映画評論家)

クレイジー・イングリッシュ
瘋狂英語
1999年/中国/キートマン、DMVEカルチャー・ディベロップメント製作/UPLINK配給/1時間30分
 
監督・撮影=張元(チャン・ユアン)
音楽=李暁龍(リー・シャオロン)
編集=徐宏(シュー・ホン)
出演=李陽(リー・ヤン)
 
[ストーリー]
 中国のカリスマ教師リー・ヤン先生のまるで幻術のような英語教育。熱に浮かれたように彼の動きを忠実に真似る大集団。このドキュメント映画は、日本人の英語コンプレックスと中国コンプレックスの両方を痛く刺激する。「恥をかいて、英語を覚えろ!」「英語を話して日米欧に打ち勝とう!」。いま隣の大国で起きている新世代の蠢動を、さて日本人はどう受け止めようか。
 
[コメント]
 世の中に「クレイジー」と言われる人は滅多にいるものではないが、リー・ヤン先生はかなりヤバイ。俗にいう「友達になりたくない」タイプである。黒人ラッパーのごとく、悪魔にでも取り憑かれたようなパッションとエネルギーに僕は圧倒されてしまった。これは一種の「洗脳」教育である。おてやわらかに! 先生は「中国を市場(マーケット)としかみない国(日米欧)に英語を覚えて、今度は中国人が進出するんだ、そして金を儲けよう」という英語を学ぶ明快なモチベーションを中国人に植え付けている。僕自身も、中学・高校と6年間英語を学んでも自分の考えを英語で伝えられないので身につまされる思いである。また英語を日本の第二公用語にしよう、という話題で最近賑やかだ。これでいいのか日本人!? しかし、「映画」として観ると同じようなハイな場面の繰り返しに正直とても疲れる。これも「洗脳」教育か? おてやわらかに! (拓)

あんにょんキムチ
1999年/日本映画学校製作/OFFICE きむち、ビターズエンド配給/52分
 
監督・撮影=松江哲明
構成=中井大
撮影=茂木一樹
音楽=岡野作夢
編集=吉田啓、関正則
出演=松江哲明、松江雅子、柳在哲、松江メイ子、松江安子
 
[ストーリー]
 松江哲明(21)は最近悩んでいる。戦争のころ日本にやってきた韓国人の祖父・松江勇吉(劉忠植)の残したある言葉が原因だ。そのことに気を病んだ哲明は韓国と祖父の生涯について調べ始める。友人たちに自分が韓国人であることを告白したり、大嫌いなキムチを食べようと必死になったり……。祖父を中心に韓国系日本人の家族が歩んできた歴史や現在を、孫(三世)の視点でたどる笑いと涙のドキュメンタリー。
 
[コメント]
 韓国系日本人の監督が、自らのルーツを調べあげていく姿が記録されている。韓国人、在日韓国人(コリアン)、それぞれの立場や、老若男女によっての考え方の異なりが描き出され、彼らのリアルな感情が見える点がとても興味深い。日本と韓国は、近いようで遠い国と言われる。文化、民族、言葉など。少し前まで、在日コリアンに対する日本人、韓国人の態度は険しいものだと聞いていた。特に戦争中の日本の態度が両国の関係を微妙なものにし、彼らに対して暗いイメージを抱いてしまっていた。が、この映画で印象は変わった。さわやかにあっけらかんと生活する彼らの姿は見ていて気持ちが良かった。韓国語で、‘あんにょん’という言葉には「こんにちは」と「さよなら」の意味があるという。この映画を撮りながら自分探しをしている監督のなかで、キムチ(韓国の代名詞)がどうなるのだろう。今、旅は始まったばかり。 (阪)

新しい神様
1999年/デジタルビデオ/W-TV OFFICE製作/UPLINK、VIDEO ACT! 配給/1時間39分
 
監督・脚本・撮影・編集=土屋豊
撮影=雨宮処凛、伊藤秀人
音楽=加藤健(Rebel Blue)
ナレーション=雨宮処凛、伊藤秀人、土屋豊
出演=雨宮処凛、伊藤秀人、土屋豊
 
[ストーリー]
 民族派右翼パンクバンド「維新赤誠塾」の雨宮処凛と同メンバーの伊藤秀人、天皇廃止論者の監督、土屋豊の不思議な交流を描いたポスト・ドキュメント映画。相対する思想を持つ3人が、国家と個人、依存と自立をテーマに意外な共通点を見つけていく姿がユニークに描かれている。
 
[コメント]
 1999年、モーニング娘。が「LOVEマシーン」でヒットチャートを賑わしている最中、維新赤誠塾のボーカル・雨宮処凛が叫ぶ、「本日も日本国、ヘドが出るほど平和です」。同じ国でありながら、この対極は何だろうか? 昨今の「日の丸」、「君が代」議論、若者の右傾化といったことが話題になっているタイムリーな状況において、このフィルムはイデオロギーに対するアンチテーゼまたは哲学をも感じさせる。主人公の一人である雨宮処凛は、絶対的な「神」としての天皇を心の拠り所にして生きてきたが、与えられたデジタルビデオカメラを通して「告白」していくことで生じる心情の変化を描き出している。そして気が付くのである。自分自身を反映している、このカメラこそ、新しい「神」なのではないかと。監督でもあり、出演者でもある土屋豊は、そんな彼女を温かく、時には厳しく見つめているのだった。このフィルムに対して次の言葉を送る。「God is a concept by which we measure our pain(神は私たちが苦悩を計る一つの観念である)」(『God』−John Lennon) (拓)