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11月27日(日)ベルブホール 第1部

追悼:カメラマン・安藤庄平の仕事


多摩市在住で、40年余にわたり、映画カメラマンとして第一線で活躍された、安藤庄平氏の残された映像と人柄を偲びます。
    チケット料金
  • 一般:前売1,000円 当日1,300円
  • 子ども(4歳~小学生):前売800円 当日900円
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  • Pコード:558-660icon Lコード:Lコード:36197

泥の河

1981年/木村プロダクション制作/東映セントラル配給/1時間45分
  • 監督=小栗康平
  • 制作=木村元康
  • 原作=宮本輝
  • 脚色=重森孝子
  • 撮影=安藤庄平
  • 音楽=毛利蔵人

  • 出演=田村高廣、藤田弓子、朝原靖貴、加賀まりこ、柴田真生子、桜井稔、蟹江敬三

ストーリー

昭和31年。大阪安治川河口近く、河っぷちで食堂を営む夫婦(田村・藤田)の一人息子信雄(朝原)は、対岸に移動してきた舟(母・加賀)の姉弟、銀子と喜一(柴田・桜井)と友達になる。父母は姉弟を食堂に呼んで、暖かくもてなした。天神祭りに、初めてもらったお金をなくし、しょげた信雄を楽しませようと、喜一は舟の家に誘ったのだが……

コメント

まだまだ戦争の余韻を残していた時代、誰もが戦争でなくした、家族や友人、生活を取り戻そうと、日々汗をかいて働いていた。そのなかでも、子供たちは人々にとって希望の星であったと思います。この作品での子役の3人は、素人から選んだと聞いています。そのために、自然な仕草や表情が当時の大阪の状況をよりリアルに表し、子供たちの心の中が痛いほどに伝わってきます。特にしょげた信雄を楽しませようと、喜一が自分の舟に誘い、宝物の蟹に舟べりで火をつける場面では、2人の心が痛々しく感じられます。

一方、そんななかでも、受け入れていかなければならない大人の世界の現実に、信雄の成長を感じ、そんな時代を観客の自分にも在ったのだと、納得をしました。貧しいが頑張っている食堂の夫婦・舟の怪しげな魅力の加賀まり子など、今の時にこそもう一度観たい作品だと思います(岸)

安藤 庄平 氏

Ando Shohei

1933年生まれ、東京都出身。日活に撮影助手として入る。67年に『花を喰う蟲』(西村昭五郎監督)でカメラマンとしてデビュー、以後日活ニュー・アクション、ロマンポルノ、ATGなどで100本を越える作品に携わってきた。小栗康平監督の『泥の河』(1981年)、『死の棘(とげ)』(90年)で日本アカデミー賞最優秀撮影賞を受賞。他に『遠雷』『麻雀放浪記』などの撮影を手掛けた。およそ40年余にわたり第一線の映画カメラマンとして活躍。多摩市永山にお住まいでしたが、2011年5月、東京都内の病院で死去。享年77歳。遺作となったのは02年の『ピカレスク人間失格』(伊藤秀裕監督)。

フィルモグラフィ(主な作品を抜粋)

  • 花を喰う蟲 (1967) 撮影

  • 私が棄てた女 (1969) 撮影

  • 八月はエロスの匂い (1972) 撮影

  • バージンブルース (1974) 撮影

  • 泥だらけの純情 (1977) 撮影

  • 十八歳、海へ (1979) 撮影

  • 太陽の子 てだのふあ (1980) 撮影

  • 泥の河 (1981) 撮影

  • スローなブギにしてくれ (1981) 撮影

  • 遠雷 (1981) 撮影

  • ダブルベッド (1983) 撮影

  • 暗室 (1983) 撮影

  • 麻雀放浪記 (1984) 撮影

  • 伽耶子のために (1984) 撮影

  • 夢千代日記 (1985) 撮影

  • 帝都大戦 (1989) 撮影

  • 死の棘 (1990) 撮影

  • 四万十川 (1991) 撮影

  • 雷電 (1994) プロデューサー

  • シベリア超特急 (1996) プロデューサー/撮影

  • ピカレスク -人間失格- (2002) 撮影

ゲスト紹介

小栗 康平 監督

Oguri Kouhei

1945年生まれ、群馬県出身。早稲田大学第二文学部演劇専修卒業後、フリーの助監督として浦山桐郎、篠田正浩監督らにつく。81年『泥の河』で監督デビュー。キネマ旬報ベスト・テン第1位、毎日映画コンクール監督賞など多くの賞を独占。海外でも、モスクワ映画祭銀賞を獲得。以降、『伽?子のために』『死の棘』『眠る男』『埋もれ木』を公開。カンヌ映画祭・ベルリン映画祭・モントリオール映画祭等で受賞するなど、高評価をされている。

植草 信和 氏

Uekusa Nobukazu

1949年生まれ、千葉県出身。70年キネマ旬報社入社。91年編集長に就任。2001年退社。その後はフリー編集者として多数の書籍の編集に携わる。キネマ旬報社在職中は「中華電影完全データブック」「満漢全席」などアジア映画関係書を中心に多数の書籍・雑誌を編集。現在は、太秦株式会社取締役として映画配給や編集・評論に活躍されている。